2019年04月13日

奇莱主山北峰−2

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【写真説明】合歓山東峰の東斜面を黒水塘小屋目指して只管下りに下っている間、筆者は何を見ていたのだろうか?繰り返すが、記憶も写真も残っていない。三日目に同じ下り登山道を登り返す時に、この大下り(大登り)の全景を見ていた。台湾にも秋あり!と驚嘆した。筆者が台湾の紅葉に感動し、秋の紅葉の季節になると日本へ大挙して渡航する台湾観光客の灯台下暗し振りを可笑しく思えたのは、この黒水塘小屋と大下りの起点となる小奇莱間の斜面と小関山林道である。因みに小奇莱とは、登山口から暫く合歓山東峰裾沿いに付いている登山道を暫く辿った丘状の隆起であり、山容が北峰に比されるからである。基点無し、又、写真も残っていない。ここに掲載の写真は小奇莱方向を背にし黒水塘小屋方面を見降ろしたもの。左写真奥に写る山塊は北峰。(続く)
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2019年03月30日

奇莱主山北峰−1

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【写真説明】旧蒋介石行館の松雪楼奥にある奇莱主山登山口付近の写真はこれ一枚だけである。その後、昨年合歓山東峰に二回目の登頂をした際に、松雪楼正面玄関の標高3,150bを示すプレートとか、同峰と奇莱主山登山道分岐点の指導標とか確かに撮影した積りでいたがそれらも残っていない。ここに掲載の写真はしかも奇莱主山北峰、主山の登頂を終え登山口に戻って来た際撮影されたものだ。逆に、その前々日に登山口を出発したのだが、何時頃出発したのか?もう2003年11月の事ゆえ手掛かりが無い。推測するに、同日早朝に高雄市を出発し、第一泊目の成功堡山屋まで駆け下りたことになる。なにせこの第一日目に撮影された写真が1枚も無い!土砂降りだった可能性がある。登山口から同山小屋までの距離は二時間半程度なので無謀とは言えないが、今の筆者には登山口まで当時5〜6時間運転してそのまま歩き始めるのは無理である。登山口に立ち雨にでも遭えば登山そのものを中止してしまうのが今現在である。当時は若かったということだ。因みに、掲載写真の撮影時間は午前11時過ぎ、そのまま高雄市まで戻ったはずだ。(続く)
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2019年03月16日

俯瞰図:奇莱主山北峰

[←俯瞰図はココをクリック]

「台湾五嶽・一奇」の一奇に登ったのは2003年10月、もう十五年も前のことだ。爾来看るだけの山岳で在り続けている。「単攻」(単日、即ち24時間以内に登頂・下山を完了)の対象にもなっている(本当に今でもそんな猛者がいるだろうか?)ので、然程登攀困難な山とは思えない―登山口である旧蒋介石行館松雪楼(海抜3,150b)から先ず下り一方、最低点、黒水塘小屋(2,750b)に至る。この間落差約400b。登りに転じ、通常一泊目サイトとなる成功堡山屋(同2,860b)を経て、北峰頂上(3,607b)迄。この間落差約900b。登山道総延長7.5`。それでも、台湾ハイカーが是非とも登頂したい一座であることは間違い無い。「奇」とは奇異で豪快な山容を想起させるのと掛け合わせたものだろうか?俯瞰図は登山道と行政区画境界線とほぼ一致していることを示したかった。

十五年を経ても尚強烈な残照は三つある;一つは成功堡山屋周辺の排泄事情の惨状(「足の踏み場も無い」−何処かでコメントした記憶あり)、二つ目は通常主北三叉路と呼ばれる北峰方面と奇莱主山方面の分岐点から北峰稜線に至るまでの手掛かり・足掛かりに乏しい急斜面の登り、もう一つは、頂上直下の鎖場。。。

実は筆者の百岳・古道ブログの中で過去かなり奇莱主山に言及している。その中から奇の奇たる由縁にコメントした部分を抜粋し、奇莱主山の最初の投稿を閉じることにする。抜粋コメント中の学生とは成功大学のそれであり、上記の山小屋の命名は、登頂成功の意味では無い。何れも2007年5月の投稿:

それにしても、奇莱主山の標高は既に3,500メートルを越えているのだが、本当に奇莱主山まで開鑿したのだろうか?台湾を代表する山岳を表現するのに「五嶽、三尖、一奇」という言葉が使われる。玉山と雪山は五嶽の雄である。一奇とは奇莱主山のことで、一つしかない特別な山の意味である。台湾の現代登山史上、最多の遭難者を出した山である。尤も奇莱主山は、北峰、主峰、南峰から成り、通常奇莱主山を代表するのは北峰(台湾百岳15号:3,608メートル)である。現在の古道は南峰のはるか南側を通っているので、記念碑上の奇莱主山とは、奇莱主山に続く稜線の意であろう。(台湾古道ブログ『能高越嶺古道−9』より)

ところで、奇莱山で近代台湾登山史上最悪と言われる遭難事件が発生したと書いたが、1970年代に二件発生し、遭難者はいずれも学生、死亡者は合計11人。無論、気候の相異が山岳遭難には大きな影響を与えるが、日本では毎年何人の山岳遭難者が出ているかご存知だろうか?日本人は余りにも山で命を粗末にし過ぎているようであるし、今後中高年の登山は更なるブームになることを考えたらこの傾向は今後も必定だ。(台湾古道ブログ『能高越嶺古道−10』より)(終り)
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2019年03月02日

郡大山−12

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【写真説明】望郷山から郡大山主峰までの稜線と眺望は初回の登攀の際、堪能し尽くしたと云う鮮烈な記憶があるので、当時の印象を掻き集めながら登山道を辿ったのみ。既に4月であり暑い。馬酔木(あしび)が満開だった。今回の登攀の際、初回時は恐らく見逃していたものを三枚選び出した。左写真は稜線上の池塘(天池)、既に水は干上がり蒐場(ぬたば)となっていた。主峰頂上には、二等三角点以外に森林三角点(中央写真手前)も埋定されていた。馬酔木もこれだけ繁茂すると背景の玉山連峰に引けを取らない。(終り)
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2019年02月16日

郡大山−11

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【写真説明】郡大山登山道に取り付く前日、登山口より先の郡大林道を歩いてみた。目の覚めるように美しい台湾二葉松の木立を抜けると、33`の標示板が現れ、更に進むと、林道は崩壊、車もバイクも通れない。但し、踏み跡が明瞭である。『台灣全覧』を開いて看た。林道は郡大渓方面へ向かう。無雙山(百岳第71号:3,231b;マシルカ山)登山口が45.3`、郡大渓沿いに「郡大渓警備道(中之線古道)」の標記がある―鹿野忠雄『山と雲と蕃人と』の世界!郡大林道33.5`の崩壊部は、筆者にとり夢の世界への入口。。。郡大林道は総延長約90`、これに支線が加わる。無雙山登山口を過ぎて後は、林道は南下、八通関古道西段(=玉山登山道)の観高まで至るが、無雙山登山ルートと郡大渓警備道が交差して後の『台灣全覧』からは、中之線古道の標記は消えてしまうが、筆者が想像した通り、郡大林道と中之線古道が重なっている部分があると云う証左であると思う。その後、泰斗楊郡南亡き後、台湾古道研究の牽引車である鄭安睎博士の1998年の「中之線警備道」踏査メモを読んだ。この踏査行も、無雙山登山道から北側半分、南側観高までの部分は「從八通關古道的觀高走到丹大林道的三分所,走完整段行程。然而我們這次活動的起點改從無雙開始,一來為了縮減時間,二來略過觀高到無雙這一段不確定的路段。」と記されている。(続く)
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2019年02月02日

郡大山−10:「郡大山−9」修正記事

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【写真説明】今年の春節休暇の初日(02/01)、旧台湾小百岳の一座である八仙山登頂を目指すべく、台中市和平区の八仙山国家森林遊楽区に入った。遊楽区内にある旧神社跡付近で前回投稿掲載写真と同種の雉の番に遭遇、今回はかなり明瞭な撮影に成功したので、春先から転がり込んで来たこの幸運に興奮し、直ぐに数人の知り合いに自慢すべく、ミカドキジとして携帯で今回掲載写真を配信した。その後、何時もの通りトレーニングがてらに高雄市旗山区の旗尾山に登り、頂上の涼亭に掛けられていた今年の彰化銀行のカレンダーを捲っていたら、あっ!と驚いた―筆者がミカドキジと信じて疑わなかった台湾固有種の優美で豪華な雉は、実際は台湾での正式名称「藍腹鷴(「閑|鳥」) 」、ミカドキジとは別種である。世界にその存在を知らされたのもミカドキジに比べてかなり早く、1862年(文久2年)、同じくイギリスの鳥類学者、ロバート・スウィンホーに依る。学名は従って、Lophura swinhoii、この為英語での通称は「スウィンホーのキジ」(Swinhoe's pheasant)。 では日本語では?ウィキペディアの台湾鳥類の日本語版と中国語版を比較すると「サンケイ」、恐らく「山鶏」だと思う。台湾の知人に依ると、「鷴(「閑|鳥」) 」とは正に山の鶏の意味だそうだ。個体差はミカドキジの方がスウィンホーのキジよりやや大きく、後者が背中と尾に目立つ白色羽があること、それと後者の足が赤いことぐらいか?大体当の台湾人ですら、双方の区別が付かない人々が多いのはネットを渉猟していると判る。生息地域・高度も重なるようであるが、筆者の推測では、ミカドキジの生息高度の方が高いのではと想像している。IUCNのレッドリストでも両者はNTランク、台湾千ドル札の図柄はミカドキジだが、両者、青、赤、白地(中華民国国旗、青天白日満地紅旗に同じ)を纏うので国鳥扱いであるのに変わりは無い。いずれにせよ、筆者のミカドキジ追跡の旅は続くのである。(終り)

[再修正記事:02/12/2019]→二つの投稿の掲載写真を並べて見れるので、改めてそうしてみた。そして又驚いた。郡大林道で筆者が撮影した番は、実にミカドキジである!尻尾の色模様と足を八仙山のものと比べて欲しい。両者は異種である。
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2019年01月19日

郡大山−9

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【写真説明】郡大山登山口までは32`強、初回は自身で運転し入山したのだが、今回村長候補に運転して貰いながら、当時は無謀な事をしたものだと我ながら感心すること頻り。「郡大別館」として重宝されていた工寮は十余年前はまだ小屋として機能していたが、今は身包み剥がされた無残な呈を晒していた(左写真)。登山口(中央写真)は玉山箭竹を潜り抜けるようなイメージを持っていたが、全く異なっていた。第一のマイルストーンである望郷山三角点迄は近かった。登山口を過ぎ林道を暫く辿った松林で、帝雉の番(つがい)に出会った(右写真)。イギリスの鳥類学者、ウォルター・グッドフェローに依り、1906年(明治39年)に発見、学名が、Syrmaticus mikado(Symaticusはヤマドリ属)、日本(英語も)では従って「ミカドキジ」、台湾高山固有種、現千ドル札の図柄にもなっている。国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストではNT (Near Thretoned)扱いなので、良く見掛けるが、番で見たのは記憶に無い。筆者が真面な撮影が出来たのは初めて、動きは緩慢だから。ミカドキジは美しい―キジの帝王に相応しいので、この古い日本語が学名に入ったのだと筆者は合点したのだが。。。待てよ?ウィリアム・ギルバート脚本、アーサー・サリヴァン作曲によるオペレッタ『ミカド』がロンドンで初演されたのは1885年(明治18年)、その後イギリスで爆発的な日本趣味、所謂「ジャポニズム」が勃興、ミカドは日本の代名詞となる。つまり、ミカドキジのミカドは当時日本の統治下にあった台湾への逆輸入ではないだろうか?
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2019年01月05日

郡大山−8

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【写真説明】2019年新年の挨拶は、筆者別ブログ『台湾古道』のそれで替えたいので参考にして頂きたい。要はよぼよぼ歩きに転じては、台湾百岳登攀は諦めざるを得ないと云うことである。「郡大山−1」掲載中央写真で紹介した林務局望郷工作站(正式には「林務局、南投林区管理処、水里工作站、望郷分站」)内の巨木袂に小さく写る日本式祠は何者か?前回何故この1枚しか撮影していないのか?思い出せないのだが、今回全容が判るように撮影してきた。この祠の歴史情報は、台湾サイト内でも乏しい。情報ソースは不明だが、建立年は1923年(大正12年)、「望郷祠」、或いは「望郷遥拝所」が呼称か?「望郷」の意味は日本語そのもので、日本時代から使われていたことは既に本ブログで書いた。台湾サイト内に「台湾株式会社桜井組」が1933年(昭和8年)、望郷山紅檜(ベニヒ)伐採事業開始との下りあり。時間が合わぬが、信頼の置けるソースを探し当てたら新ためて紹介することにする。左写真に写る巨木(樹齢1,200年)は従ってベニヒである。(続く)
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2018年12月22日

郡大山−7

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【写真説明】郡大山再登攀記である。初登が2005年1月、再登が2018年4月。再び登ろうと考えた深い動機は無い。天気さえ良ければ、絶景が約束されているので、それだけで十分だろう。但し、興味を持って確認したかったのは、厳格を極めた郡大検査所(検問所)から登山口迄全長30余キロの郡大林道の道路状況、途中の林務局望郷工作站構内にある祠(神社)の確認、登山口にあった同じく林務局の工寮(作業所兼宿泊所)がどんな状態になっているか?等々で、登山自体は初登の2005年の体験が余りにも強烈で、又当時は冠雪していたので、今回は只々晴天を祈るのみであった。省道21号線(新中横公路−最高点は玉山登山口タータカ:塔塔加)沿い、十八重渓との公差点にあった郡大検査所は、閉鎖され(左、中央写真)、加えて21号線自体が台風被害で移設されていた。郡大林道を利用する登山の検問所は22キロ先の望郷工作站(右写真)に移されている。と云うことは、最寄りの南投県信義警察署で入山証を取得せずとも、この台湾有数のスーパー林道には入れると云うことだが、現地人のガイド無しでそうすることはお薦め出来ない。今回筆者もアルコールを毎日の活力の素にしていらっしゃる通称村長候補のブヌン族の方に運転をお願いした。(続く)
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2018年12月08日

「台湾百岳」について−11:「富士山」-2

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【写真説明】(写真説明は後段)閑話休題がもう少し続く。今月日本から七十を越えられた先輩が来台されたので、清境農場に御連れした。恐らく台湾で一番人気のある観光地である。「台湾のスイス」と呼ばれることは、弊別ブログ「台湾古道」で書いたことがある。標高が約二千メートルの高地にあるので、運が良ければ冠雪に巡り合える。台湾中南部から合歓山連峰を目指すなら、必ず経由することになる。筆者に取っては、清境農場は通過地点でしかなく、ここを通過する際如何に車両の異常な渋滞を躱すかに専心する。この農場の人気の高さは放し飼いの綿羊であり、それ故、家族連れが圧倒多数であり、その中に、六十を越えた筆者と七十を越えた先輩二人が紛れ込んだわけだ。
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2018年11月24日

「台湾百岳」について−10:「元標」

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【写真説明】本投稿は弊ブログ「台湾古道」の2018年10月06日付け「八通関古道竹山段−13」で投稿したものの再録である。本来、当該ブログの投稿記事として相応しいものと考えたからだ。左写真は竹山市街地内の南投県政府警察署竹山分局と竹山郵便局が隣接する前山路(同写真正面)と集山路(同写真左側)の公差点に立つ時計台。その袂に、日本時代の地形図製作の為の測量原点「元標」(中央写真)が保存され、二段抜きの案内板(右写真)が立つ。同写真上に「100余年前(明治33年)の日本人は、どの様にして三角点を利用し山頂の海抜を算出したのか?」と読める。「元標」には「標高五百十四尺」と刻まれている。以上、2016年7月撮影。
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2018年11月10日

合歓山東峰−4

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【写真説明】今回から「一奇」の投稿を開始する予定だったが、合歓山連峰から離れる前に、去る9月に約15年振り(初回は2003年8月)に同峰に登る機会があり、その際に珍しい物を目撃したので紹介することにした。珍しい物とは、嘗て台湾唯一のスキー場が同峰東斜面にあり、その遺跡たるリフトの残骸である。このスキー場が営業を停止したのは、東峰登山道途中にある林務局の案内板に依ると「民国74年」、つまり1985年、もう三十余年前となる。では営業を開始したのは?筆者はまだ探し当てられずにいる。

三十年もそのままに雨風に晒されたままにして置かれると、その物は廃墟の美を輝かし始める−そんな事を筆者の「台湾古道」ブログの何処かで書いた記憶がある。合歓山スキー場のリフトの赤錆びた残骸はもう十分にレジャー古蹟ならぬ産業古蹟としての確固たる地位を築こうとしているのは、今や一本に絞られた、松雪楼(旧蒋介石行館)後方に設けられた東峰登山口から登り始め、廃棄されたリフトを、東峰斜面全体が「玉山箭竹復育区」に指定された緑の海原の中に見出した時に感得出来るのである。

登山口の松雪楼の海抜が3,150メートル、合歓山東峰山頂が3,420メートル、登山道の総延長が約1キロ、リフトの最上段は登山道500メートル付近に位置するので、単純計算して、リフトの海抜は3,200メートル前後か?少なくとも日本には存在しない。

最後に、もう一言―筆者自身は台湾での山登りを始めた頃から、嘗て東峰東斜面に台湾唯一のスキー場があり、既に閉鎖されている知見はあった。では何故、当時のリフトが現存していることを知らなかったか?理由は単純で、初回東峰登攀の際に、北側登山口を選択したからだ。当時は、東側登山口に加え、北側(合歓山荘向い側)と南西側(武嶺起点)から登られていたが、現在は玉山箭竹保護の為、東側登山口以外は閉鎖されている。(終り)
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2018年10月27日

石門山−3

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【写真説明】石門山最後の投稿記事は、「合歓山越嶺古道−9」に掲載した写真と同時に撮影したものの中から選択、克難関方面からの石門山北壁崩壊部を再び紹介してこのカテゴリーを閉じる事にする。左写真に写るガードレール部は広く路側帯が確保してあるので、全く労せずして台湾百岳の数多くの雄姿を眺望出来るのであるが、北壁崩壊部との組み合わせは南東方面の奇莱主山北峰巨魁が第一等である。次回からは、この「臺灣五嶽一奇」の一奇を紹介したいと思う。(終り)
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2018年10月13日

石門山−2

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【写真説明】石門山については三回の投稿記事で同カテゴリーを終わらせようと思う。第1回記事は登山道概観、今回の第2回は登山道途中でどういう風景に出逢えるか?そして第3回目は勇壮な北面崩壊部で締め括る。実は、登山道中の風景の一つは「畢祿山−1」で紹介済みなので参考にして欲しい。これまで撮影した写真の中から今回の記事に掲載するのに適当なものは無いかと物色していてハタと気付いたことがある―石門山を含む合歓山連峰からの360度の眺望は同じなのである。これは何處に登ろうと代わり映えのしない眺望が拡がっていると云う意味では決して無い。合歓山連峰の登山道は何も遮るものが無いので、何処の頂を目指そうが、絶景が約束されている(天気に恵まれさえすればと云う条件は付くが)と云うユニークさである。石門山も例外では無い。左写真は石門山頂上に至る玉山箭竹に覆われたスロープ。右写真は合歓山連峰からの眺望を代表する、南東方面になる奇莱主山北峰の巨魁から奇莱主山に至る稜線。中間部の高峰は通称小奇莱。いずれも2005年11月撮影。(続く)
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2018年09月29日

石門山−1

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【写真説明】前回投稿の「西合歓山ー2」掲載の写真と同じく、天気芳しからぬ日に撮影した写真が並んで仕舞い申し訳無く思うが、流石に登山時の天気は選べない。今回は【俯瞰図】記事のお浚い、記事内容の視覚化を目論んだ三枚を掲載した。左写真は正規登山口脇に立つ里程標、頂上迄の登山道全長が700メートルであることを示す。中央写真は、合歓山東峰正規登山道800メートル(標高では無く、同登山口から頂上迄の距離が約1キロ)付近から望む石門山、南北方向の眺望。同写真撮影の目的は、省道14号甲線(中央横貫公路霧社支線)と石門山登山道の位置関係を示す為。同写真の下側に合歓尖山(3,217メートル)の頂上が写り込んでいるので、石門山登山口入口付近が隠されているが、自動車道と登山道が並走している様が良く分かる。実はこの石門山登山道は、南投県仁愛郷(登山道左側)と花蓮県秀林郷(同右側)の境界線を為している。更に、大甲渓(左側)と立霧(タッキリ)渓の分水嶺でもある。右写真は、石門山山頂の大日本帝国陸軍参謀本部所属陸地測量部埋定の三等三角点。里程標と三角点は2018年6月撮影、中央写真は2018年9月撮影。(続く)
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2018年09月15日

俯瞰図:石門山

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石門山が最も簡便に登頂出来る台湾百岳であるのは事実である。尤も、合歓山(主峰)も実際は頂上に測候所があり、観測者の車に同乗させて貰えば歩かなくて済むのだが。

今年6月の雨中、実は東峰に登る積りだったのだが、合歓山荘(旧石門駐在所)の省道14号甲線(中部横貫公路霧社支線)を隔てて向い側にあった登山道口が封鎖されていた(自然保護の為)のと、その霧雨が雲となり山を覆っていたので、現在松雪楼後方に設けられた正規登山口を確認した後は、これも久々に石門山に向かった。目的は、その登山の簡便さを二つの方法で測ろうと考えたからだ。

まず、同省道脇にある正規登山口から北側にほぼ真っ直ぐに延びる登山道を辿る。登山口に里程標があり、0.7Kの標記あり。その時撮影した写真データで引算すると三等三角点がある石門山頂上まで丁度20分掛かっている。緩やかな登り一方、海抜3,000メートルを越えているので普通の散歩のような具合には行かないが、700メートルを20分は悪くない。次に、頂上から登山口方向へ暫く戻り、登山道が最もフラットになる辺り、右手に同省道が見え出した後、登山道をそのまま右手に外れるとすぐにその自動車道への降り口が付いている。そこから降りてアスファルトを踏む。そこから逆に頂上を目差せば5分程度か?実は、この石門山への正規登山口を使わない不届き登頂の様子は、筆者の別ブログ「合歓山越嶺古道−9」でその様子の写真を掲載しているのだが、筆者自身が登山道を外れ自動車道に降りたのは更に登山口側の土手の段差が最小の部分である。

正規登山口から登山道を辿るだけなら、玉山箭竹に覆われた平坦な稜線からは、何故この丘陵でしかない山が台湾百岳の一座なのか判らない。おまけに稜線の一部はこの稜線と殆ど同じ標高で省道14号甲線が西側を並走している。ところが、頂上の北側は大断崖になっており、この勇壮な景観は、同省道を逆側から走ってくると丁度道路が踊り場のような部分があり、路側が大きく確保してあり車を停めて満喫出来る。ダイヤグラムでは石門山と石門山北峰の鞍部に当たる。つまり、石門山も台湾高山の典型的な地勢―片側が優雅な箭竹スロープ、片側が大断崖―の典型である。

この踊り場の辺りが丁度、日本時代、合歓越嶺道路中岩盤にトンネルが穿たれていた場所で、それ故、石門山と呼ばれる。戦後、現在の中部横貫公路、つまり省道14号線建設の際、爆破された。今は中国国民党風に克難関(大風口)と呼ぶ。ダイヤグラム中の位置は間違いであり、克難関付近から撮影した断崖の様子は、先に紹介したブログ「合歓山越嶺古道−9」で写真を掲載済みなので参考にして欲しい。(終わり)
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2018年09月01日

西合歓山−2

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【写真説明】南投県仁愛郷翠華村華崗部落(左写真)、通称「円環」(中央写真)と市販地図にも表記のある西合歓山西側登山口と言うより、合歓渓歩道入口と呼んだ方が普通のハイカーには判り易い。「円環」と謂うのは地名では無く、同写真右奥に写る松を含んだ小山の周りを部落道が巻いているからであろうと云うのが筆者の推測。駐車している車は合歓渓歩道(全長3.5キロ、高低差140メートル、往復約3時間)目当てのハイカーのものである。音に聞こえた歩道にしては、駐車スペースは別にして、寂れている。右写真は駐車場から東側を望んだもの、左側の山塊が西合歓山、右側の低い山塊(梅松山)との間を合歓渓が流れる。ここに到るには、省道14号甲線を大禹嶺まで下り、省道8号線に乗り換え梨山に至り、福寿山農場を経る郷道89号線を南下する。
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2016年04月09日

西合歓山−1

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【写真説明】寂しい限りだが、西合歓山に関する投稿記事は一回切りにすることにした。頂上の三角点の写真を除いては、西合歓山を簡便に紹介出来るような写真が残っていない。西合歓山山頂に着いた後、すぐに大雨に見舞われ、復路、その大雨と格闘していたと云うだけでは無く、往路も頂上がどれくらい先にあるのか見当が付かず、相当焦っていたかもしれない。西合歓山の山容すら良く紹介出来ないのは、誠に残念だ。前回投稿の俯瞰図と今回掲載の一枚だけで我慢して貰うしかない。左写真は、北合歓山頂から西合歓山方面稜線を望んだもので、俯瞰図と同イメージである。稜線最奥の最高点が西合歓山頂上か、さらにその先に僅かばかり覘いている少し低い稜線付近が頂上か、実は判然としない。要は、北合歓山よりかなり標高を落としている。尚、同写真後方の豪快な稜線は白姑大山連峰。但し、雪山山脈上の稜線と重なっている部分もあるかと思う。中央写真は、北合歓山頂上を後にし西合歓山へ向かう登山道から北合歓山頂上方面を振り返ったもの。片側が笹に覆われたスロープ、片側が断崖と云う台湾高山の典型的な地勢。右写真は、西合歓山三角点。同写真奥は北合歓山へ繋がる稜線。(終わり)
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2016年03月19日

俯瞰図:西合歓山

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北合歓山登山口から北合歓山を越えて西合歓山頂上へ至り、そのまま同じ登山道を北合歓山登山口まで戻って来るのは、一日コースである。

事実、2003年当時筆者もそうしたのだが、恐らく早朝五時過ぎには出発したはずで、出発後暫くして撮影した写真の時刻から想像出来る。優に八時前には北合歓山頂上に到着、その後、西合歓山頂上に至ったのが丁度十一時である。これらの時刻から、当時は歩行時間として往復約十時間を目論んでいたと思うのだが、登山口に戻って来た際の時刻を推定出来る写真が残っていない。西合歓山に到着した直後から大雨に見舞われ、登山口に戻るのに必死だったことを思いだす。同行者に依れば雹も降って来たと謂うが、これは記憶に無し。

何が言いたいかと云うと、北合歓山までは天国的な眺望を堪能出来ても、西合歓山まで足を延ばすとなると、相当な覚悟が要ると云うことである。

中華民国山岳協会の百岳路線図から歩行時間を拾うと、以下の通りになる:

登山口→北合歓山(100分)→西合歓山(185分)→北合歓山(215分)→登山口(75分)

つまり、北合歓山の往復だけであれば、三時間程度でOKだが、北合歓山頂上を起点とした西合歓山往復に七時間を要してしまうと云うことである。北合歓山から西合歓山へは、標高差が約三百メートルあるので、基本下りである。

但し、下り一方では無い。そのせいで、目指す西合歓山の頂上が何処なのか?ついぞ判らぬままにひたすら我慢して頂上まで辿り着いた。事実、特徴の無い山容で、通常は一度登頂して仕舞うと、その後は遠方からでも特定出来るものだが、今以て西合歓山を指し示せずにいる。

今回の俯瞰図は、北合歓山頂上上空から真西を俯瞰、西合歓山三角点が、北−西合歓山稜線上の一番最後にあることを示した。次回、再登攀の機会に恵まれた際に、心理的な圧迫を最小限に出来るようにとの願いを込めて。(終わり)

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2016年02月27日

北合歓山−2

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【写真説明】北合歓山だけで少なくとも三本は投稿記事をアップ出来るだろうと踏んでいた。登頂したのが十年以上前とは謂え、鮮烈な天国的な眺望の記憶がどんどん拙い文章を膨らませてくれるものと思い込んでいたのだ。当時撮影した写真を繰ると単調なフレームの連続になっいるのに気付き、逆に弊ブログの読者に供してしまっては退屈になるだけだと悟り、今回掲載した三枚を以て、北合歓山の投稿は終えることにした。左写真は北合歓山山頂三角点と雪山山脈、稜線最高点が雪山主峰(次高山、標高3,886m)、その最高点から右側稜線が沼井鐵太郎命名の「聖稜線」。中央写真は頂上から南東方面、奇來山連峰稜線、最高点が奇來主山(百岳20号、3,560m)、台湾一奇と称される奇來山連峰で最も著名な奇來主山北峰(百岳16号、3,607m)は同写真左枠外になる。右写真は、北合歓山頂上から合歓山主峰稜線越しに真南方向の眺望、同写真右奥に玉山(新高山)連峰が明瞭に写り込んでいた。(終わり)
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2016年02月06日

北合歓山−1

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【写真説明】前回投稿で「天空と広大な草原(玉山箭竹)がその境界を競うかのような大空間」と云う表現を呈したが、今回は聊かでもそのイメージを模するに適した写真を探してみた。左写真は、登山口から一時間弱程の登り後の登山者の背中、南側の眺望、北合歓山登山の為の大道具揃い踏みの感あり。中横、太魯閣国家公園管理処兼ビジターセンター、付属駐車場が人工物。同写真右後方の最高点が合歓山東峰(標高3,421m)、その手前崩壊部を曝け出しているのが、石門山(同3,237m)、同写真左奥の稜線は中央部の最高点、奇來主山(同3,560m)を盟主とする中央山脈北三段。中央写真は登り約一時間半付近の北合歓山頂上方向の展望。右写真は同地点から北東方向の眺望、所謂中央山脈北一段の雄渾無比の核心稜線。同写真最奥の最高点が南湖大山(同3,742m)、その手前稜線の尖峰は中央尖山(同3,705m)、同写真右側に抜ける黒色の稜線は屏風山(同3,250m)北側。(続く)
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2016年01月16日

俯瞰図:北合歓山

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明けましておめでとうございます。今年も引き続き弊ブログをご贔屓賜るようお願い申し上げます。

筆者姉妹ブログ『台湾古道』は昨年度度々中断はあったが、何とか週刊だけの格好は付けて歳を越せたが、本ブログは半年以上の大きなブランクを残して歳を超す決断をした。以前、本ブログの書き出し後暫くして、二年のブランクと云う大穴を開けた実績があるのだが、何も三週間置きの投稿に拘ることはないかと小心者の筆者自身の気持ちをやっと落ち着けた。それでも今年は従来の三週間に一回投稿のペースは守る積りだ。

何故、半年ものブランクが出来てしまったかは、『台湾古道』の方で詳しく書いたので、その事情はここでは端折る。要は機会が巡り来たり、丁度十年振りに又台湾でサラリーマンとして働き始めたのだが、体と気持ちが付いて行かず、混乱の極みにあったからだ。台湾百岳は凄く近くになったにも拘わらず、だ。

合歓山連峰の三座目は北歓山、或いは合歓山北峰、この稿を起こすに当たり当時撮影した写真のフォルダーを見返して見たら、何と2003年7月である。爾来、中横(中部横貫公路、省道14号線)脇に開いた登山口横を頻繁に往復しながら、北合歓山に実際登ったのは其の時限りなのに、新ためて驚いている。

二度と登りたくない山と云うものは、その標高に拘わらず幾らでもある。北合歓山もその部類の山か?と云うと全く逆である。

高雄からでも早朝に出発、山頂の往復のみであれば、同日中に又高雄に戻って来るのは可能だ。登山口脇に駐車可能、登山口から山頂まで登り二時間弱。。。加えて、その間、背負う風景は台湾山岳の美が凝縮されていると謂うしか無い。頂上と云う目立った突起物は無い。天空と広大な草原(実際は玉山箭竹)がその境界を競うかのような大空間があるだけである。三百六十度の展望という表現があるが、この北合歓山の頂上空間を凌駕するような展望があるだろうか?又、登ろう、それも今年中にという思いが沸き起こって来るのは珍しいことだ。十五年近く、一体私は何を考えていたのだろう。。。

今回掲載した俯瞰図は、中横脇の登山口も含め北合歓山南斜面上空から。登山道が明瞭だ。尚、ビジター・センターの中横越し下に駐車場があるが、当時はここにテントを張るのは許可されていたが、今はどうだろうか?合歓山連峰すべてを短期間で攻略したいのであれば、極上の基地となる。(続く)
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2015年06月20日

合歓山東峰−3

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【写真説明】今回は些か百科事典的なコメントになる。東峰に登頂した際、筆者がその可憐さに甚く心動かされたのは、今回掲載した写真に写る花である。その後その花の名前を調べた上で暫くは覚えていたはずだが、この記事を起こすに当たりすっかり失念しており、新たに調べた次第。日本の高山植物に通じておられる方は、直ぐにこれがマツムシソウ(松虫草)であることが判る筈だ。ウィキペディア日本語版だと、松虫草は日本固有種という表現がしてあるので誤解しがちだが、マツムシソウ属とすると世界に七十種程度存在、日本のものは台湾を含む中国大陸南部から北上したものらしい。筆者のパソコンだと「まつむしそう」とタイプしても「松虫草」としか変換されないが、日本のネット上で見ていると、松虫草と「山羅葡」が併記されている。台湾種の松虫草、つまり写真に写る主は台湾では今は「玉山山羅葡」と表記されるが、日本語ではニイタカマツムシソウ、学名に「Hayata」、即ち、早田文蔵の名が冠せられているので、台湾現代表記より相応しい。因みに「羅葡」とは大根(ダイコン)のことだ。更に、大根の古名は春の七草の一つ「スズシロ(清白)」、筆者のパソコンは「すずしろ」とタイプし変換すると「清白」ではなく「羅葡」が出て来る。(終わり)
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2015年05月30日

合歓山東峰−2

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【写真説明】今回は実際東峰を登ることにしよう。東峰頂上への登山道は複数本あるが、最も判り易い登山口は、合歓山荘(旧石門駐在所跡)の中横を隔てて真向いで、登山口表示板が立つ。それが左写真である。往復九十分、登り一時間、下り半時間という塩梅だから、登山経験が無くとも往復可能、台湾の一つの天国の展望台に立てるのだ。中央写真は、「合歓山越嶺古道−9」に掲載した写真の焼き直しである。この正規登山口からの登山道が贅沢な理由は、台湾を代表する氷河遺跡である、合歓尖山(3,217メートル)、台湾で唯一のホルン(氷食尖峰)を背負いながらの登山になることだ。右写真は頂上山塊。下掲写真は、北合歓山をバックにした頂上を示す石積、東峰は基点無し。(続く)

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2015年05月09日

合歓山東峰−1

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【写真説明】同じ言い訳を繰り返すことにまるが、合歓山に関する今後の記事も淡々と写真を並べて行くに留めることにする。又、掲載写真の一部は特に弊『台湾古道』ブログの「合歓山越嶺古道」シリーズで掲載した写真と類似していることも断っておく。今回の掲載写真は、主峰より遥かに見映えのする東峰という形容を前回の紹介でした限りに於いては、全く貧しい限り、筆者のカメラ・ワークの限界だ。左写真は、昆陽冬季救護センター(旧合歓山駐在所跡)から望む東峰南面、2012年10月撮影。中央写真は、武嶺(旧佐久間峠)展望台越しに臨む東峰西面、その頂上は指呼の間にあり、頂上まで踏み跡もよく見えている、左写真と同一時に撮影。右写真は、北合歓山(北峰)登山道途中から望む東峰北面(同写真最奥)、2003年7月撮影、東峰下方で崩壊部を露出させているのは、石門山(百岳70号、3,237メートル)同写真右側の大きな塊は主峰、又、写真左中央に写る建築物は、合歓山ビジターセンター。「合歓山越嶺古道−2」掲載写真とほぼ同地点から撮影。(続く)
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2015年04月18日

俯瞰図:合歓山東峰

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合歓山東峰はこれまで何度も讃嘆して来たように、合歓山御本尊たる主峰に比べると遥かに見映えがする。同時に、実際登っても、三千メートル峰登山の醍醐味を実に瞬時にして体得出来る。今回のダイヤグラムのグーグル・アースの垂直方向のスケールは+50%に設定し東峰の重量感を誇張したのだが、実際実物の存在感そのものだと自画自賛している。

「瞬時」という表現をしたのは、少なくとも三箇所ある登山口の標高はどれも既に三千メートルを越えていること、もう一つは、何処の登山口を選択しようが、登り始めた瞬間から一切の遮蔽物無しの超豪華眺望が約束されていることである。無論、登山当日快晴に恵まれるという実際はこの登山そのもの―頂上までの登攀時間は一時間も掛からない―より遥かに厳しい条件をクリアすることが条件だが。

今回掲載したダイヤグラムは東側からの俯瞰図である。霧社から中横を登り切り最初に視界に飛び込んで来る東峰雄姿は南面、その後中横は東峰西側の山裾を巻いており、加えて、主峰も東峰の西側にある。更に、中横は北側方面へ下って行く為、合歓山荘横のビジターセンターに車を停め、そこから東峰東面を巻く遊歩道、即ち奇來山方面への登山道を辿らない限り、一般の遊楽客は東面から東峰を仰ぎ見る機会が無い。それ故、東面俯瞰を選んだ。(続く)
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2015年03月28日

合歓山−3

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【写真説明】合歓山は簡便に登れるという理由と多分大いに関連して、山容そのものが愛でられるということはないようだ。実際、このブログ記事に適当な合歓山自体の写真を探したのだがなかなか見付からない。「台湾古道」、「台湾百岳」の弊双方ブログに合歓山を含む合歓山連峰の眺望写真は多数掲載してきた。ところが合歓山の近影は皆無だ。と云うより、筆者自身が意識してカメラを向けた記憶が無い。今回、やっとこれら今回の記事に掲載した写真を見付けて来た。左写真は、2012年10月撮影、中横から望む合歓山頂上付近の稜線のスロープと登山道。同写真左下に写るのはナナカマドのはずだが、紅葉までもう少しの状態だ。中央写真は、2005年11月撮影、合歓山頂上への登山道から望む同山南面の断崖部、合歓山も台湾山岳の一大特徴である片側が笹に覆われたなだらかなスロープ、片側がそれとは対照的な断崖という地勢を呈している。左写真も中央写真と同日中横から撮影した合歓山北面。(終わり)
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2015年03月07日

合歓山−2

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【写真説明】「合歓山−1」で掲載した写真は、「初登頂」の日の天候が悪く、従って筆者自身の到達感も薄かった。何処でも何でもそうであるが、天候に恵まれること程、嬉しいことは無い。今回は正規登山口ではなく、ローカルな登山口を紹介することにした。ローカル、即ち間道で、こそこそ隠れながら入り込むとイメージだが、この合歓山主峰への間道は、武嶺駐車場脇に堂々と開けられており、しかも、国家公園管理処が立ち入り禁止の標札を掲げているにも拘わらずである。理由は、正規登山口より登頂時間が少なくて済むからである。上掲左写真はそのローカル登山口に掲げられた「自然環境保護の為に進入禁止!」の看板。中央写真はそこから這い上がり合歓山頂上が望める場所まで来た瞬間の眺望。右写真は頂上で記念撮影する登山者。

現在合歓山頂上には頂上を示す物が三種、一つは上掲右写真の登山者が中央で抱いているステンレス製の指導標、二つ目は、下掲載左写真の地面に埋め込まれた指導標、そして下掲右写真のように、今は日本時代陸地測量部が埋設した三等三角点も開放されている。以前は前回紹介したように、金網に囲まれた気象観測施設の中にあり台湾登山者が登頂直後よくやる三角点タッチ!が出来なかった。(続く)

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2015年02月14日

合歓山−1

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【写真説明】初めて合歓山に登頂(と言えるか?)したのは2002年6月、今回掲載した写真はその時撮影した登山口と頂上の様子だ。上掲左写真は、省道14号甲線沿線にある合歓山への登山口。表示板にあるようい往復1時間はちときつい。上掲中央写真は合歓山頂上の気象計測施設。同右写真は当時頂上付近は観光の為に新規の意匠を新設中、つまり登山道とは名ばかりで実は工事道路も兼務していた。下掲左写真は頂上、当時はこの立ち入り禁止エリア内にある三等三角点を確認出来ず、代わりに同エリアでバカチョンで撮れる場所にあった有志の自家製頂上指導標、記載の標高3,416メートルは57年版、現在は+1メートルが正規標高である。
[本文へ...]
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2015年01月24日

俯瞰図:合歓山

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合歓山、並びに合歓山連峰に関しては、既に別ブログ『台湾古道』の「合歓山越嶺古道」で、その魅力に関し言い尽くしてしまった。それらブログ記事・写真の集大成が『台湾古道』ブログ左メニュー「日経ギャラリー」最終回第4回目の記事である。それで、今後暫く投稿されるこの台湾百岳ブログ記事中では、台湾百岳登山の入門コースたる合歓山と合歓山連峰の紹介は写真中心と為らざるを得ない。というか、たった今書いてるこの時々も、色々な合歓山連峰の視覚的なイメージが想起し収拾が付かない有様、今更何を書けばいんだという投げやりな気分に囚われる。

今回掲載した俯瞰図は、「日経ギャラリー」第4回目記事の最初の見開きページにある北合歓山(合歓山北峰)から真南を俯瞰した写真と南北対象にすることにした。通常は紹介する各山塊を対象にした俯瞰図を作成・掲載して来たが、今回はこのイメージ以外のアイディアが出て来なかった。

今回掲載のダイヤグラムは、従って、合歓山を中心に合歓山連峰を真南から俯瞰した図である。ダイヤグラムの下端は、日本時代開削の「合歓越道路」をほぼ忠実に踏襲した霧社を起点とする省道14号甲線、通称「中横」(中部横貫公路)霧社支線が、蛇行を繰り返しながら標高三千メートルを越えようとして、タロコ国家公園の境界碑を正に越えたその先に広々とした駐車場を従えた冬季救護センター(要は臨時派出所)上空である。嘗ての合歓山駐在所跡地である。ここからの、と言うより、国家公園の境界碑を過ぎた瞬間、眼前に飛び込んで来る合歓山東峰南面の圧倒的なスケールは余りに唐突で、衝撃的だ。。。「台湾古道」ブログ中では恐らく複数回同じことを喋っている。

同ダイヤグラム中央の、今現在武嶺と言われる台湾自動車道最高点が嘗ての第五代台湾総督佐久間左馬太のタロコ征伐に因む佐久間峠で、主峰たる合歓山と東峰の鞍部であり、ここを越えて降り切った場所に、合歓山荘があり、日本時代の石門駐在所跡地である。今回掲載のダイヤグラムも「日経ギャラリー」第4回記事の見開き写真も、主役は合歓山(主峰)と合歓山東峰、それら稜線の鞍部たる台湾自動車道最高点たる武嶺、旧佐久間峠を乗り越す旧合歓越道路、現在の省道14号線甲線、通称中横霧社支線なのである。

三千メートルの稜線には独特の風の声がある。この声が聞こえだすと私の皮膚は泡立つ。それは登山の話をしているのだが、読者は登山の経験が無くとも、この省道14号線甲線をお好みのスピードで走り他のドライバーの邪魔にならない場所に車を止めて耳を傾けるだけでいいのだ。

登山に興味のある弊ブログ読書の為に申し添えておくと、ダイヤグラム上の合歓山四峰は丸二日あれば完登出来る。西合歓山(合歓山西峰)のみが日本第二の高峰南アルプス北岳より低いだけだ。(終わり)
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