2023年05月20日
品田山−1
【写真説明】山名の由来をコメントした後は、特異な山容を呈している原因となった「褶曲」地形に関しコメントしておく。その説明の資料としてここに三枚の写真を選択、掲載した。残念ながら地形の解説のビジュアルガイドとしては適当とは思えないが、そもそも当時その特異な地形に関する知識は希薄、従って適当な写真を撮影しておらず、後追いで過去の写真から探しだそうとしているからだ。左写真は初めて雪山主峰(次高山)に登頂した2002年10月に、三六九山荘付近で撮影、主役は台湾のナナカマド、メルマガ『台湾の声』に2021年3月に寄稿した【台湾紀行】シリーズ《氷河時代の「生き残り」−タイワントドマツ》の二箇所で以下の紹介を提供した:
「甘木林山の東斜面最下段に三六九山荘は設営されており、山荘の名前は甘木林山の旧標高が3,690bだった為。」
「三六九山荘後方には、火災に依り立ち枯れとなった真っ白な台湾冷杉が起立しており、雪山白木林と通称される。その下方のナナカマド(七竈:台湾では「巒大花楸」)の群生が秋になり真っ赤に紅葉すると、その紅白のコントラストは一幅の絵だ。紅葉したナナカマドは日本の高山地帯ではお馴染(なじ)みの秋の風物詩なのだが、同じ風景に台湾で往き当たった時には驚いたものだ。」
左写真に写る品田山褶曲はおとなしく思える。中央写真は2004年1月、雪山方面の典型的な降雪、積雪に恵まれ雪山東峰から聖稜線北稜線を撮影、積雪のお陰で褶曲構造が良く看て取れる。これら二枚は品田山の遠望で、武稜農場から東峰経由で雪山主峰を目指せば誰でもが指差せる。右写真は2013年10月、北一段方面、審馬陣山付近から雪山山脈を望んだ。最早褶曲構造など判らないぐらいの聖稜線南陵線、大覇尖山から派生する稜線と品田山を含む武稜四秀稜線が重なっているのだが、その稜線の左側にオベリスク風に佇む奇怪な品田山山塊が見える。
ウィキペディア日文版「褶曲」の冒頭の説明は以下の様に極簡単に説明されている:
「褶曲(英: fold)は、地層の側方から大きな力が掛かった際に、地層が曲がりくねるように変形する現象のこと。
(中略)地層の谷にあたる部分を向斜(英: syncline)、山にあたる部分を背斜(英: anticline)という。ただし、これらの用語は地層の上下が特定できているときのみ使われるため、上下の特定が困難な場合は向斜状構造をシンフォーム(英: synform)、背斜状構造をアンチフォーム(英: antiform)とよばれる。」
台湾では、品田山頂上山塊の褶曲は背斜と説明されている。後の投稿の中でもう少し品田山の褶曲を紹介出来ると思う。(続く)
2023年06月10日
品田山−2(品田山前峰V断崖)
【写真説明】俯瞰図で強調した品田断崖を下降する前に、もう一つ越えなければならない断崖があった。品田山前峰と品田山との間の断崖であり、今はV断崖とかV型断崖とか通称されている。筆者の山行時はハイカーの間で現在のように大袈裟に取り沙汰される難所と看做されていたかどうか?いずれにしても予想外の障害物だったはずだ。前峰西壁を下降し登り返して品田山山頂に到るわけだが、今現在筆者の記憶にあるのは、その断崖底に至った後の品田山山頂への登攀の印象のみ。上段左写真は品田山前峰下降開始時点、中央写真は前峰壁、右写真は品田山壁登攀。。。とこの程度の写真しか残っていない。今時の若いハイカーなら動画を駆使する。下段左写真は、前峰方面から前峰断崖越しに望む品田山東壁。中央写真は、品田断崖下降中途で望む、喀拉業山、桃山、池有山の稜線と品田山前峰断崖壁。同写真最後方稜線左端最高点が喀拉業山、同稜線右端最高点が桃山(桃山山屋が白く写り込んでいる)、その下方向稜線上の岩峰が池有山、右写真は、品田山東壁登攀途中の前峰断崖越しに俯瞰する聖稜線O線ルートの最終点、雪山主峰(次高山)が同写真右上に見える。又、写真中央上付近に写る白い建物は三六九山荘。
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2023年07月01日
品田山−3(断崖)
【写真説明】品田山前峰断崖と同じく、品田断崖に関する予備知識も仕入れずひたすらに西進する。品田断崖が四段で構成されていることはこのブログ記事を書き続ける途中で知った。そこで新めて自身で撮影した断崖の写真を眺めてみるとどうも大いに歯抜けになっているようで、降下した四つの断崖にクリアな線を引けない。第1段(1枚目と2枚目)と第2段(3枚目と4枚目)は明確だ。特に第2段は過去滑落事故が頻発している断崖だ。5枚目と6枚目断崖は第3段目か第4段目か判らず、3段目ではなかろうか?7枚目は四段断崖を降り切り西進方向に聳える穆徳勒布山(3,604b)俯瞰、8枚目は今度は背中側になる降り切ったばかりの品田山北稜。(続く)
2023年07月22日
品田山−4(頂上)
【写真説明】品田山山頂の三角点標石の写真を掲載することをすっかり失念、筆者のブログは先に山頂を後にしてしまった。三角点標石の写真をこのブログに掲載するのは登攀の証拠写真を提示したいからではなく、あくまで先達に敬意を表する為である。ところが、当時山頂で撮影した写真に一枚も三角点標石が無いことに、登頂後十年になろうとしている今頃になって気付いた。結局当時は、或いは当日、山頂に立った時標石の有無の確認は有耶無耶になっていたということだ。或いは、その場の俯瞰に圧倒されっぱなしだったからだろうか?現実は、森林三角点(台湾総督府殖産局)が埋定されていたが消失中。。。誰かの家の軒先に置かれているかもしれない。台湾でもこの手の所業は違法のはずだが、台湾サイト中で相当な三角点標石コレクターの実態を確認出来る。左写真は品田山山頂山塊直下、既に頂上までの距離は100bを切っているはずだ。中央写真は、山頂標識、背後の稜線は大覇尖山連峰。右写真は、山頂より聖稜線西側のお馴染みの眺望。右から、穆特勒布山、雪山北峰、雪山主峰(次高山)等々。(続く)
2023年08月12日
品田山−5(布秀蘭山・素密達山・穆特勒布山・雲達卡山・凱蘭特崑山)
【写真説明】池有山東側鞍部新達小屋を出発し、品田山を越え西進を継続、先ず大覇尖山より南下して来る稜線と出会う。その後、布秀蘭山、素密達山、最期に素密達断崖を降下し素密達山屋に至り二泊目。上段左写真は品田山と布秀蘭山の鞍部にある露営地より聖稜線西進方向を望む:布秀蘭山、素密達山、穆特勒布山の順。中央写真に写る指導標は、右側大覇尖山稜線方面との出会い。右写真は、布秀蘭山山頂より振り返った品田山東壁。品田山より離れるに連れ逆に断層面の豪快さが増すような印象を受ける。品田山断崖をカメラで追い掛けるだけでも大作品が出現するだろう。先に二日目の終点、素密達断崖降下の様子とその後の素密達山屋への行進を掲載した。三日目のマイルストーンは百岳の雪山北峰、下山後は雪北山屋で三泊目。
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2023年09月02日
品田山−6(布秀蘭山・素密達山・穆特勒布山・雲達卡山・凱蘭特崑山)(2)
【写真説明】申し訳ないが、再た逆戻りである。今回掲載した六枚は、スミダ山登攀の光景である。時系列としては、これら六枚は前回記事下段三枚へと続く。前回記事に掲載した上段左写真の大凡中間に三段の岩峰が突き出ているが、右端が穆特勒布山(今後はムトロツプ山と呼ぶことにしよう)、左端が素密達山(今後はスミダ山と呼ぶことにしよう)で、実際登攀したのはスミダ山だけだった。上段左写真に写る斜めに突き出た岩峰がそれだ。この角度から見る限りそれ程巨大な塊に見えないが、実サイズはかなりのものだ。中央写真の最後方にムトロツプ山頂上が僅かに覗いている。
品田山を過ぎ尚眼前を遮ぎ続けた尖峰は素密達山と穆特勒布山だったのだが、筆者はこの二つの尖峰を明確に認識出来ていたかどうか?大いに疑問だ。というのは、行く手に雲が掛かり始め、これら二つの峰の内、ムトロツプ山はやがて視界から消えたからだ。何を言いたいかと言えば、筆者は当日登攀することになっていたスミダ山をそう認識出来ていたかどうか?当日本当に登るべき山はそれがスミダ山であろうが、ムトロツプ山であろうが、我々は余りにも無謀なことをしようとしているのではないか?と自問自答を繰り返さざるを得ないぐらい、一般ルートから乖離した登山道と思われた。二つの尖峰は近接しているとは云いながら、標高差は150b、ムトロツプ山が遥かに高い。今思うに、筆者が恐懼していたのは、未だ雲が二つながらに尖峰を覆い隠す以前に見えていたムトロツプ山を当日の最終目標と見余っていたのではないか?筆者の視界がスミダ山に占領された後は、どうもその山がムトロツプ山に摺り替わったようだ。いずれにしても、行く手の登山道に恐懼するというのは筆者にとり極めて稀なケースだった。下段の写真は無機質な三角点標石代替ステンレス鋼、ムトロツプ山のそれが筆者の撮影データの中に無いので、結局筆者のムトロツプ山は雲中の出来事であったと言わざるを得ない。(続く)