▲[←俯瞰図はココをクリック]
弊古道ブログでは既に説明したのだが、前回記事をリリースした約一週間後、筆者の妻は肝不全の為急逝した。その辺りの簡単な経緯については古道ブログの方に投稿した。そのような背景も有り本年度から百岳ブログの更新頻度を三週間に延伸することにした。
池有山には二回登頂した。2011年2月の桃山/喀拉業山登頂に続き、2012年1月、第二回武稜四秀山行を企図、池有山/品田山を目指した。結果的には、積雪の為池有山のみ登頂、品田山登攀はその後大凡三年弱、お預けとなった。2014年10月、聖稜線O線コースをその池有山からスタート、品田山に実際登攀してみて、前回品田山登攀を断念したのは正解であったとつくづく実感したものだ。
台湾人にとって、池有山と云う山名が日本人に依り命名されたことは感覚的に直ぐ判るらしい。意味は文字通り池(塘)の有る山なのだが、中国語文法では有池の順番が自然だからだそうだ。台湾ネット上で公開されている然るサイト(『百岳名山的由來』)に以下のような説明があった(筆者拙訳):「タイヤル語で池のある山(有池山)の意のタマラップ山(Tamarappu)と呼ばれている。西側(品田山方面)に延びる稜線上の草原中に少なからぬ池塘が散在しているからである。池有山と云う表記は日本語文法に依る。」草原の実際の広がりは俯瞰図を参照にして欲しい。
実は台湾古道ブログの方で、特に最初の池有山登攀についてはカテゴリー『南澳(比亜毫)古道』として記事を起こしているので、池有山俯瞰図の解説はそのブログ記事に肩代わりさせようと思う。読者の便宜の為に、宜蘭県大同郷四季村(シキクン社)、古道ブログ・カテゴリー名のビヤハウ社、太平洋岸の南澳の位置関係が判る台湾総督府警務局の大正13年発行『三十萬分一臺灣全圖』の抜粋を貼り付けておいたので、参考にしていただければ有難い。四季部落から加羅湖迄の古道部は以前よりハイカーに良く歩かれているので、地図上の「カラサン」もハイライトしておいた。(終り)
2023年02月04日
2023年02月25日
池有山−1
【写真説明】左写真は、山名の由来となった、池有山と品田山の鞍部に点在する池塘の一つ、武稜四秀行の定番山小屋、新達山屋の近くで撮影(2014年10月)した。同写真奥に写る山塊は池有山。中央写真(2014年10月撮影)と右写真(2012年1月撮影)は、池有山頂上直下の特徴的な地形、同一地点である。池有山頂上へのルートと武稜四秀縦走路の分岐点付近に露出している。池有山頂上からそのまま稜線伝いに品田山方面へは降りられず、通常この分岐点付近に荷物を置いての往復となる。現場にはこの特異地形に関する中文+英文説明板がある。中文では通称「碎石坡」、正式名称「石流坡」、英文だと各々「gravel slope」、「rock slope」であることはその説明板から読み取れるのだが、これらを手掛かりに日本サイトを渉猟しても、日本語学術用語がいまだに捉まらず。本特異地形は氷河運動の所作ではなく、夜間と昼間の大きな気温差に依り創生されたものと云うのが説明板の主要なメッセージである。(続く)
2023年03月18日
池有山−2
【写真説明】左写真は池有山頂上での、今どきの台湾人大学生(モデルは国立台湾海洋大学)登山パーティーの記念撮影。約十年前の当時ですら、台湾国内で冬山登山の装備は難なく調達出来るのが見て取れる。陸測三等三角点は既に断裂。中央写真は、池有山頂から東側稜線越しに望む桃山。桃山山屋が肉眼でも認識出来る。他方、右写真は池有山頂上から、武稜四秀西側稜線上の品田山へ目を転じ撮影。こちらも池有山と品田山の鞍部にある新達山屋が写り込んでいる。池有山頂上でその翌日の登攀対象である山岳、並びに山頂に到る地勢を十分研究出来るだけの機会を貰いながら、最終的に品田山登山を諦めた理由をもう思い出せない。同写真左側奥に写るピークは雪山北峰(百岳10号)、標高3,700bを超えている。(続く)