2022年09月10日

桃山−1:桃山俯瞰図

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聖稜線と武稜四秀を組み併せてみたが、やはり伝統的な手法通り百岳各々一座に対し一枚の俯瞰図を充てることにした。さもなくば各一座の特殊性を視覚化するのが難しいと云う単純な理由だ。筆者にとり桃山の特殊性を思い付くままに列記して今回の稿を終わらせることにしたい。

1) 武稜四秀四座の標準日程は山中二泊三日だと思う。これを一泊で切り詰めて完登してしまう個人、パーティーもあるようだ。詰まり一回の山行で完結して仕舞える雪山山脈のモデルコースである。筆者は四座完登に三回の山行と三年八カ月を要した。特別な理由は無い。運が悪かっただけと言えようか。最初は2011年2月、武稜山荘から桃山(+喀拉業山)迄の往復行である。単純な往復行にした理由は思い出せない。二回目は翌年2012年1月、池有山と品田山を目指したが、積雪の為品田山登攀は断念した。断念したのが正しかったと理解したのは三回目の挑戦、2014年10月のO線コースを辿った時だ。いずれにせよ、筆者自身の武稜四秀に対する憶いは、極めて標準コースであるにも拘わらず以上のように非常に長い時間を掛けたと云う事だ。

2) 初めてプロの登山ガイド・ポーターを雇った山行に相成り、この後台湾百岳のみならず主要登山はお世話になることになる。当時53歳ぐらいか、まだまだ背負えていたと思うが、その後五年も経たない内にガイドは必須と自覚せざるを得ない体力状況が現出した。

3) 桃山登山以前に二回、雪山主峰定番コースは体験していた。それらを含めてこれまで雪山山脈山系登山の中で最も恵まれた天候の中の山行になった。それを証明するのが、当時デジカメで撮影した写真群である。当時はかなり低級なデジカメを持参、撮影していたはずだが、解像度の低い割には非常に良く撮れていると思われる理由は、当時のキャノンの技術力に負う所が大きいと今でも思う。今後そのような写真を中心に投稿を纏めたいと思う。

4) 当時はまだ中国からのツアーは大流行だったはずだ。武稜農場にも連日多くの中国人観光客の為に仕立てられた観光バスで賑わっていたはずだ。正確に場所は覚えていないが、既に防火道終点は大いに過ぎていたと思う。明らかに中国人観光客と判る出で立ち、背広の正装からネクタイを外しただけ、革靴を履いたままでそこまで登って来ている男性一人を目撃した。もし彼が頂上を目指していたのであれば、行き着いたであろうし、そういう中国人農民(と私が推測した)の逞しさが滲みだしているのだ。当時筆者は中国で職を得ていた。

5) 「防火道路」―日本では防火帯と言うはずだ。この後の雪山山脈山系登山で思い知らされるのだが、筆者自身過去の経験が無く、かくも美しき且つ無機質の防火道路、即ち登山道を辿る精神、肉体双方の大いなる消耗。。。今回のダイヤグラムに防火道路の出入口の標高を入れ込んだのは、一種の大いなるカルチャーショックを受けたからだ。(続く)
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2022年09月24日

桃山−2

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【写真説明】上段左写真は登山ベース武稜山荘から見上げる桃山、登山口から目標点が見えているのが大いなる特異性だ。中央写真は古い指導標、右写真は台湾二葉松街路とも呼べる典型的な防火道路。筆者が初めて出遭った台湾雪山山脈中の防火道路を縦版を使いもう少し紹介しておく。下段左写真は未だ正式には防火道路に入っていなのだが、これだけのものを見せられると驚いた。但し、直ぐに食傷する羽目になる。中央写真は防火道路進入地点、右写真は防火道路終点の光景。(続く)
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2022年10月08日

桃山−3

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【写真説明】左側、詰まり西側に雪山主峰(次高山)の稜線(右写真)を間近に見ながら、背中には南湖大山群峰(左写真)と中央尖山の峩々足る稜線(中央写真)を背負いながらの登山は、これ以降定番になっていくのだが、桃山登山の際はこれらの眺望に対し真摯に向き合っていたことが、当時撮影した写真を見ると良く分る。Powershot G11で撮影したことになっているが、当時本当にこのデジカメを所有していたかどうか?印象に乏しい。過去大凡二十年強キャノンのデジカメを使って来たが、万年素人の筆者の意見では、カメラ・テクノロジーの進展とは逆に写りと色合いが衰えていくという思い込みから逃れられない。(続く)
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2022年10月22日

桃山−4

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【写真説明】防火道路終点を超え黒水塘と通称される池塘を過ぎると、頭から降り注ぐ風景は岩峰に替わる。桃山はその名に似ず本来岩峰である。刻々と変化していく岩峰のイメージを時系列順に並べた。下段左写真が桃山頂上直下である。(続く)
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2022年11月05日

桃山−5

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【写真説明】桃山の頂上に近付くに連れ武稜四秀全体の稜線にも近付く。するとその稜線越しに聖稜線の北側起点大覇尖山の稀代な荘厳さが辺りを圧する岩塊が現れる。桃山に登頂する以前2002年10月と2004年1月の二回雪山主峰方面へは登攀経験はあるのだが、雪山主峰から大覇尖山への距離は眺望と云う観点からは絶望的に遠い。この桃山登山時に浴した大覇尖山の眺望こそは筆者にとり初めの大覇尖山との出会いだった。左写真は、雪山主峰より聖稜線全体を取り込み撮影(2002年10月)、複数の稜線上から一座抜きんでたピークが大覇尖山。中央写真は初回の武稜四秀トライアル時(2011年2月)、桃山頂上まで半時間程度の位置から撮影した大・小覇尖山、手前の稜線は武稜四秀四座を結ぶ稜線。右写真は、二回目の雪山主峰トライアル時(2004年1月)撮影、桃山登攀以前撮影対象が桃山であると認識していた唯一の写真。(続く)
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2022年11月19日

桃山−6

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【写真説明】筆者自身にとり桃山登頂がユニークだったのはもう一つ理由がある。桃山頂上を5回踏んだことである。第一日目、先ず最初の登頂を果たした後、桃山山屋へ降りて夕陽の中の絶景を期待して2回目の登頂、二日目のメニューは山屋と喀拉業山との往復のみ、往路・復路両方とも桃山頂上も往復、そして三日目の下山日、第1日と同じコースを辿り武稜へ降りた。今回の記事を投稿摺るに当たり当時撮影した写真を確認している途中で頂上直下に桃山山屋に二泊したのに気付いた。詰まり心理的にも余裕があったのだ。撮影の出来栄えに反映されていると思う。右写真(14:47撮影)は桃山頂上、陸測三等三角点標石と並ぶのも測量基準点に見えるのだが、台湾サイト内にその正体に関する情報を見付けられずにいる。バックは南湖大山連峰。中央写真(17:22撮影)は桃山山屋方面から頂上を仰ぐ。右に覘くのも南湖大山連峰。右写真(06:58撮影)は喀拉業山へ向かう為に桃山を乗越したところ。三日間超快晴に恵まれた。(続く)
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2022年12月03日

桃山−7

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【写真説明】蛇足とは思うが、「桃山山屋物語」として三枚付け加えておいた。二枚目写真の右側を覆う影は桃山頂上か?自信なし。(終り)
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