2021年10月09日

審馬陣山−1

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【写真説明】南湖大山へはこれまで二度登る機会があった。2004年5月と2013年10月である。前者は二人組のパーティー、後者は五人組のパーティーで臨んだ。南湖大山への登山口は台7甲線(旧省道7甲線、中横公路宜蘭支線)沿いにあり、710林道の起点である伝統的な登山口は、思源唖口登山口(上掲左写真)と通称される。一回目はこの登山口から入山した。と言うよりそこが当時唯一の登山口だったはずで、710林道を7`弱(正確には6.8`)辿った後に稜線への取っ付きになる。乗用車は乗り入れ禁止だがバイクは入れるので、ポーターとなったり狩猟を目的とする原住民はバイクを大いに利用していると思われた。二回目の時はその後開鑿されたと思われる、唖口登山口より台7線を約4`南に下った地点にある勝光登山口(上掲中央写真)を利用した。勝光はタイヤル語の漢音訳のはずだが、オリジナルの発音判らず、日本時代の地形図には「有勝」駐在所の漢字記載あり、現在同位置に勝光派出所がある(上掲右写真に写るオレンジの建築物)。勝光口からの登山道はその先で710林道と合流させる為のもので、忠実に林道を辿るコースのショートカットだ。710林道の4.8`地点で合流(下掲中央写真)、勝光登山口からは2.3`の距離になるので、2.5`の短縮ということである。下掲左写真は勝光新登山道の合流地点手前に台湾省政府圖根点を持つ勝光山(標高2,285b)頂上付近、但し筆者の眼には触れず仕舞い。下掲右写真は前出の710林道6.8`地点の稜線取り付き、稜線まで1`強の急登となる。以上、二つの登山口、登山道の関係をサラリと書いたが、何せ二回の登山は凡そ十年の隔たり有り、二回目登山の際、最初の登山の印象は消えかかっていたこともあり、この稿を起こすに当たり当時撮影した写真を長い間眺めた果てにやっと整理出来た次第である。(続く)
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2021年10月23日

審馬陣山−2

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【写真説明】上掲左写真は710林道の稜線取り付きから急坂を登り切った場所で、通称「松風嶺」、8`地点である。但し、松の種類は判らず、当時は興味が無かったのだ。ネット上の山行記録に松の種類まで言及したものが無いのは後述する状況と同じである。どうも台湾二葉松のようだ。そこから本格的な稜線沿いの登山道に切り替わり約500b緩い登りを辿ると多加屯避難小屋(中央写真)に到着する。最初の山小屋になるのだが、数人が眠れる程度の小さなものだ。初回時に実際仮眠を取った時の印象より二回目のそれは随分大きく見えた。そんなことより初回時の印象との一番の落差は登山口からの距離感である。二回目はショートカットを利用したはずなのにこの小屋迄五時間を要した。途中この小屋がなかなか現れなので取り壊されたのかと訝ったものだ。初回時、木曜日の終業と共に高雄飛行場に急ぎ台北松山飛行場へ、そこからパートナーの車で旧北宜公路を越えて宜蘭市街地を突っ切り中横公路を思源唖口登山口迄ぶっ飛ばした。そのまま即座に710林道を駆け足する感じで突っ走り、この小屋に到着、有給を取った金曜日の午前2時頃だったと記憶している。そのまま避難小屋で朝6時ぐらいまで仮眠、その後南湖山屋迄長駆した。そういうわけで登山口から避難小屋迄はあっという間だったと云う刷り込みになっていたのだ。右写真は避難小屋附近から西側(来し方)の眺望、雪山山脈である。前回の投稿記事で既に紹介したように新登山口から入ると最初に出会うピークは勝光山であるが、旧登山口からだと、避難小屋を通過すると直ぐに出会う、通称水利三角点(森林課三角点、下掲左写真)と多加屯山(陸測三等、右写真)である。これら三座が審馬陣山の前峰と云うことになる。
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2021年11月06日

審馬陣山−3

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【写真説明】伝統的な思源唖口登山口から最初のマイルストーンとも言える多加屯山避難小屋、又は多加屯山迄は約9`、次のマイルストーンは、通常登山第一日目の宿泊地となる稜雲山荘、登山口から12`附近である。上段は10〜12`附近の点景、下段は稜雲山荘の内外観を掲載した。上掲左写真は気持ちの良い稜線上の平坦部で池塘がある。この点景は二回目の南湖大山行の際、一回目の印象が僅かだが残存していた数少ない場所の一つだ。南湖山荘までの登山道総延長凡そ20`の中間点辺りだ。上掲中央写真は、更に歩を進めると現れる樹林帯で森全体が湿潤している気配があった。この付近の初回の山行の印象は皆無だったが、この稿を起こすに当たり暫く写真を眺めていたら、夜中、原住民ポーターに連れられムササビ狩りをしながら下山する途中で、ヘッドランプの光に真っ赤に反応する樹上のムササビに目を凝らしていた場所ではなかったろうか?と思うことだった。上掲右写真は、11`附近の通称「木杆鞍部」と呼ばれる南湖渓小屋方面、詰り中央尖山へ直接取り付く登山道との分岐点だ。何故この写真を掲載したかと言うと、この分岐点に至る少し手前で、中央尖山に登られ下山途中の八十歳を越えたハイカーに遭遇したからだ。中央尖山、台湾百岳10号、標高3,705b、台湾五岳では無いが、「尖」を文字通り体現した山岳で、台湾人ハイカーにとり一度は登っておきたい圧倒的な名峰だ。筆者にチャンスはあるだろうか?(続く)
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2021年11月20日

審馬陣山−4

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【写真説明】登山道14`附近から稜線は草原地帯に転じ、この後登山道最高地点となる19`地点、南湖大山北峰(標高3,592b)に至るまで360度の豪快な眺望に搦め取られる。先ず進行方向右手に中央尖山の雄姿が立ち現れる。更に行く手右側、即ち南側に目を転じると合歓山連峰まで明瞭に望める。それが上掲左写真である。同写真右上奥に写る尖峰は「一奇」、奇莱山北峰である。この眺望を逆に望んだ一例は、「畢祿山−1」に掲載した写真である。登山道を振り返り来し方を見やると、これまで辿って来た稜線越しに雪山山脈の総覧が飛び込んで来る。上掲中央写真は稜線登山道越しに雪山山脈南部をズームし佳陽山(岩盤が露出した山塊)とその両側の大剣山、剣山、更に雪山山脈の左側同写真上中央部は白姑大山群峰である。上掲右写真は審馬陣山山頂直下より望む雪山(稜線上の瘤状の山塊)。この稜線登山道より100b程離れた場所にある審馬陣山山頂は地形上は何の特徴も無く何故台湾百岳に選定されているのか判らない。只手軽に百岳登頂を約束されると云うのは有難い。三角点は陸測三等である。最後になってしまったが、この山名の由来はタイヤル語「シンバジン」の日本語漢音訳である。(終り)
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