2020年12月19日

屏風山−1

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【写真説明】前回投稿に付したダイヤグラムだけで実際の屏風山の山容をイメージするのは難しい。屏風のように立ちはだかる山塊なのでそう呼ばれているのだが、西側、即ち合歓山側から眺望すると頂上稜線は平たく、その稜線上まで樹林帯に占められているので、山容に特色が無く撮影の興味を削がれてしまう。南隣りの奇莱連峰と対照的に実に平凡な山容である。この為、これまで合歓山群峰方面に出掛けた際に撮影した写真の中に「偶々」屏風山が写り込んだものが無いか?探してみたが目ぼしいものが無い。辛うじて探し当てたのは、筆者の古道ブログ「合歓山越嶺古道−4」に掲載した右写真と、同日(2010年5月)撮影した上掲左側の併せて二枚のみ。これら二枚の主役は奇莱主山北峰の文字通り奇怪な頂上山塊であり、しかもかなり東側からの眺望なので、奇莱北峰が屏風山の左側に見えている。屏風状の山容を呈しているのは繰り返しになるが、西側からの眺望である。そこで最近(2020年12月)、三回目の北合歓山への登攀の際、屏風山の撮影を意識したのだが、生憎雲が多く上手く撮れなかった。中央・右写真とも北合歓山西斜面で、中央写真の撮影地点の方が海抜が高い。序でに合歓山群峰まで写し込んだパノラマ写真も掲載したが、屏風山右側に起立しているはずの奇莱北峰は雲の中。。。(続く)
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2021年01月02日

屏風山−2

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【写真説明】明けましておめでとうございます。今年も引き続き本ブログをお引き立てお願い申し上げます。今回の投稿記事より、先の「俯瞰図」の中の投稿記事の某月某日のメモを繰り返しながら、屏風山の登頂を簡便に追い掛けることにする。

「大禹嶺表示板手前の登山口から渓底までは急下降⇒渓底から登り始め一本の沢を渡った後崩壊した斜面を急登、踊り場まで登り切ると、後は鉄線橋に至るまで緩やかな下り、途中一本乾季の間は枯れそうな沢を渡る、又、金鉱に送電していた名残りの電柱に遭遇、最後は鉄線橋に向かい下降、鉄線橋を渡り切ると豊富な水量を持つ水場を備えた露営地、暫く急登した後は、松林の平坦地が露営地まで続く。露営地から暫く坂を登るとやがて平坦地に移り金鉱まで続く。鉄線橋上部から金鉱までの登山道は松を主体にした美しい樹相を呈している。」左写真は登山口に立てられた屏風山登山に対する注意警告板。中央写真は登山口からいきなり急降下した先の着地点、タッキリ渓支流、その間の落差は250b程度。そのタッキリ渓を渡り切ってしますと、急登に転じるのが右写真。「タッキリ」には「塔次基里」等の漢音訳を充てているが、日本語漢音訳の「立霧」が最も優雅だ。(続く)
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2021年01月16日

屏風山−3

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【写真説明】屏風山への登山以外に期待していたのは、通称合歓金礦(鉱)跡を見ることだった。当時は日本時代の開鑿だと漠然と考えていたからだ。この記事を起こすに当たり改めてネットを渉猟してみると、当該情報は筆者の想像より極端に少なくしかもそれらは同じ新聞(聯合報)の記事に依っている。屏風山も含め台湾の金採掘の歴史を概観したものは河内文化社のオンライン台湾百岳(「線上臺灣百岳全集」)が秀逸だと思う。いずれにしても、最近の開鑿は1975年に屏風山合歓金礦公司が採掘権取得、1979年に採掘開始、その後日本の会社も協力した模様だが、三年以内に採掘を放棄したようだ。以上のような採掘履歴なので登山道上で目撃した金鉱残骸は上掲の左・右の写真のみ。同列中央写真は、下掲左写真の屏風山登山道のマイルストーンの一つ、鉄線橋下の立霧渓、同写真上側が上流、嘗ての金鉱方面である。鉄線橋は登山道の最低部、2,000bを割り込んでおり登山口との標高差はマイナス約500bもある。登山口から急坂を下り立霧渓支流底に至った時はその下りに失望したものだが、更に大下りを経ていたことには気付かなかった。下掲中央写真はベースキャンプ、通称松針営地、文字通り松林が美しい。右写真はその細い水場。(続く)
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2021年01月30日

屏風山−4

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【写真説明】某月某日のメモに曰く「金鉱を過ぎると四本の沢を渡るが、一本目の沢両側の崩壊は激しく危険、四本目の沢が過酷な急登の始まり、頂上稜線までの登山道は殆どロープを張り巡らされ急登を強いらされる。稜線直下は原生樹林の中の急登であるが、その下はドン突きに頂上稜線から岩場が迫り出た狭い長いガレ場になっており、全登山道の中で最も危険、台風等大雨後にこの場所を登るのは落石の危険甚大で自殺行為。」上掲左写真は松針営地と金鉱跡迄の間に広がる松林(二葉か五葉かは忘れた)。二枚目写真は金鉱跡附近から望める頂上稜線直下のガレ場、三枚目写真は最後の沢、ここから頂上稜線まで約800bの落差のある直登に転じる。下掲左写真はその途中目撃した警告板、標高等を示す標示板等無く、一体どの位の位置にあるのか?皆目見当付かず苦しい登山を強いられた。二枚目写真は台湾鉄杉の原生林。三枚目写真は上掲二枚目写真のガレ場の現場。右写真は頂上稜線への最期の登り。(続く)
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2021年02月13日

屏風山−5

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【写真説明】某月某日のメモに曰く「稜線に出るとそこは三叉路になっており、三角点へは左折、少しだけ竹薮を潜ると登山道脇に、テント二張程度は可能な清潔な露営地あり。「屏風山頂上は展望が利かず」と聴いて来たが、三角点が埋設された地点はその通り、但し、三角点に至る稜線は気持ちの良い笹原が広がり、又、眺望は絶品!屏風山遠望は、頂上まで樹林帯が競り上がっているように見えるが、実際は片側は断崖、その反対側はゆるやかな笹原という典型的な台湾山岳の稜線を形成している。稜線上には幾つか頂上候補があり、一番奥にある瘤が最も明瞭に独立しているので、そこまで上り下りを強いられるのかと思うと気分が重くなるが、実際は、最初の鞍部と瘤を越え、次に現れる不明瞭な丘状の盛り上がりが頂上だった。」左写真は、頂上稜線に出て屏風山山頂に向かい北進するハイカーの背中を襲う様にそそり立つ奇莱主山北峰(3,607b、百岳16号)。中央写真は山頂を目指すハイカーの目前に立ち現れる中央山脈北一段(同写真右側から、南湖大山=3,742b、8号と中央尖山=3,705b、10号)と北二段(無明山=3,451b、31号)の核心部。右写真は、東側展望、奇莱東稜と呼ばれるタロコ渓谷方面である。同写真中央部付近に写る帽子状の山容を呈するのは佐久間山(2,809b)、第5代台湾総督佐久間左馬太に因む。その右側の高峰は立霧主山(3,070b、90号)。下掲は屏風山山頂、陸測三等三角点。(終り)
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