2020年01月04日

南華山−1

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【写真説明】【俯瞰図】でも述べたが、弊別ブログ「台湾古道」で南華山に関しては書き尽くした感がある。南華山の第一回記事に掲載した左・中央写真は、古道ブログ「能高越嶺古道−5」からの再録と云う端の折りようである。南華山頂上ではかなりの枚数撮影したが、古道ブログに最も見栄えのする写真を先に選んでしまったと云うことだ。同写真とは言いながら、写真サイズが異なるので細部が看易いと思う。左写真は南華山頂上付近から北側の眺望、左から、奇莱主山南峰、奇莱裡山(3,333m)、奇莱主山、中央写真は同地点から南側眺望、左から能高山南峰(百岳43号、3,349m)、能高山。右写真は南華山、陸測三等三角点。三枚とも、2004年11月撮影。
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2020年01月18日

南華山−2

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【写真説明】左写真は「能高越嶺古道−6」で掲載の一枚の再録、台湾古道ブログの方で説明した記憶があるので多くは書かないが、中央山脈を横断する「電力の万里の長城」と呼ばれる高圧電線架を南華山頂上を背にして望んだもの。2004年11月撮影。東側花蓮県と西側南投県を跨ぐこの送電線、通常、台電(台湾電力)東西輸電線と呼ばれるが、完成が1953年、天池山荘、南華山、能高山方面への三叉路近く、標高2,800b地点に蒋介石の筆になる記念碑が立つ。中央写真は、その三叉路から南華山頂上を望んだもの。2019年10月撮影。東側の碑面に「光被八表」、西側碑面に「利溥民生」と書かれているが、台湾人ハイカーにも俄かにはその意味が判らないらしく、ネット上には多くの解釈が披歴されている。「光」は恐らく日の出も暗喩し中央山脈東側発電所で集められた電力の恩恵は八方に及び、中央山脈西側、つまり西海岸側の生活を利する、と謂う意味であろう。中央写真はその記念碑、2004年11月撮影。
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2020年02月01日

南華山−3

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【写真説明】能高越嶺古道の越嶺点、即ち同古道の東西段分岐点、或いは、「光被八表」記念碑設置点は凡そ、南華山こと能高山北峰と能高山(主峰)間稜線の最低鞍部を形成していると言えない事は無いが、この二座の間に、もう一つの三千b峰、卡賀爾山(3,105b)が起立している。頂上に測量基準点は無いが、奇怪にして美麗な山塊であり、台湾百岳に列せられていないのが不思議なくらいだ。能高山北峰と主峰間稜線には殆ど樹林帯が無く、玉山箭竹の絨毯が敷き詰められており、能高山を越え更に南に下る稜線も同様だと聞く。今は未だ南華山の話をしているので、竹笹の絨毯の事はこの位にしておく。これまで掲載して来た南華山を対象にした写真では、広々とした印象は感得出来るのだが、では一体南華山はどのような山容を呈しているのか?筆者自身ですら上手にイメージ出来なかった。最低鞍部を経て能高山を目指した時、初めて納得したのだ。2019年10月、南華山−卡賀爾山間稜線から北側眺望、登山パーティー後方が南華山。尚、このパーティー、筆者がカメラを向けた時、ポーズを取ってくれたのだが、筆者のパーティーでは無い。筆者の意図は彼らの色鮮やかなウェアとザックを写し込む事だった。(終り)
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