2019年03月30日
奇莱主山北峰−1
【写真説明】旧蒋介石行館の松雪楼奥にある奇莱主山登山口付近の写真はこれ一枚だけである。その後、昨年合歓山東峰に二回目の登頂をした際に、松雪楼正面玄関の標高3,150bを示すプレートとか、同峰と奇莱主山登山道分岐点の指導標とか確かに撮影した積りでいたがそれらも残っていない。ここに掲載の写真はしかも奇莱主山北峰、主山の登頂を終え登山口に戻って来た際撮影されたものだ。逆に、その前々日に登山口を出発したのだが、何時頃出発したのか?もう2003年11月の事ゆえ手掛かりが無い。推測するに、同日早朝に高雄市を出発し、第一泊目の成功堡山屋まで駆け下りたことになる。なにせこの第一日目に撮影された写真が1枚も無い!土砂降りだった可能性がある。登山口から同山小屋までの距離は二時間半程度なので無謀とは言えないが、今の筆者には登山口まで当時5〜6時間運転してそのまま歩き始めるのは無理である。登山口に立ち雨にでも遭えば登山そのものを中止してしまうのが今現在である。当時は若かったということだ。因みに、掲載写真の撮影時間は午前11時過ぎ、そのまま高雄市まで戻ったはずだ。(続く)
2019年04月13日
奇莱主山北峰−2
【写真説明】合歓山東峰の東斜面を黒水塘小屋目指して只管下りに下っている間、筆者は何を見ていたのだろうか?繰り返すが、記憶も写真も残っていない。三日目に同じ下り登山道を登り返す時に、この大下り(大登り)の全景を見ていた。台湾にも秋あり!と驚嘆した。筆者が台湾の紅葉に感動し、秋の紅葉の季節になると日本へ大挙して渡航する台湾観光客の灯台下暗し振りを可笑しく思えたのは、この黒水塘小屋と大下りの起点となる小奇莱間の斜面と小関山林道である。因みに小奇莱とは、登山口から暫く合歓山東峰裾沿いに付いている登山道を暫く辿った丘状の隆起であり、山容が北峰に比されるからである。基点無し、又、写真も残っていない。ここに掲載の写真は小奇莱方向を背にし黒水塘小屋方面を見降ろしたもの。左写真奥に写る山塊は北峰。(続く)
2019年04月27日
奇莱主山北峰−3
【写真説明】松雪楼登山口から奇莱主山方面登山道の最低地、合歓山東峰東斜面と奇莱主山連峰西斜面の鞍部となる黒水塘小屋(左写真)と指導標(中央写真)。中央写真奥に写る尖峰は北峰。当日(入山三日目)撮影した最低鞍部の景観はこれら二枚のみ。このあばら屋が今現在でもそのまま存在しているのかどうか?は台湾サイトを渉猟すればすぐ判るのだが、再訪の際の楽しみに取っておくことにする。黒水塘だから小屋の近くに池塘が点在しているのだろうが、こんな水はとても飲めないなあ、と嘆じた記憶は無し。右写真は成功一号堡と呼ばれる避難小屋、通常の露営基地である成功山屋より標高はかなり高い位置にあり、北峰−主山の稜線に近い。既述の成功大学遭難事件の後出来たはずで、当時の成功小屋より早い時期に敷設されたはずだ。同写真の撮影時間は入山二日目の夕方五時過ぎ、もう薄暗い、つまり北峰−主山の登頂を終え成功小屋目指して下山していた時だ。同登山道上には合計四箇所の露営基地があるのだが、当時撮影したのはここに掲載した二枚のみ。(続く)
2019年05月11日
奇莱主山北峰−4
【写真説明】今回掲載した写真は2003年10月の三日間の山行に於いて、最初にシャッターを切ったものである。時刻は入山二日目朝5時54分、撮影地点は奇莱主山連峰の稜線に辿り着いていたと思う。同写真左から合歓山東峰、合歓山、石門山、北合歓山、教科書的展望。標準的と推測される時間表に拠ると成功山屋から北峰・主山三叉路迄90分、そこから北峰頂上まで160分、成功山屋から主脈稜線まで2時間程度と考えると、同山小屋露営地を少なくとも4時には出発していたとすると撮影時刻の辻褄は合う。合歓山群峰と奇莱主山連峰と東西に向き合っているので、奇莱主山主脈は合歓山群峰の最高の展望台である。今回掲載した写真を皮切りに時間と場所を変えながら合計七十枚近く撮影しているので当時はその眺望に相当興奮していた証拠である。実はその中の一枚は筆者の別ブログ「合歓山越嶺古道−7」に掲載済みである。撮影時刻は7時12分。尚、北峰・主山三叉路から主脈稜線に至るまでの急勾配を這い上がる際の恐怖感は当時の山行時の強烈なイメージである。(続く)
2019年05月25日
奇莱主山北峰−5
2019年06月08日
奇莱主山北峰−6
【写真説明】奇莱主山北峰の頂上、並びに頂上からの眺望については既に本ブログ「台湾百岳について−4:三角点」で掲載したのでそちらに譲ることにして、今回は頂上直下の同じ断崖を高度を変えて撮影したものを掲載した。既に本ブログで何回も言及した台湾高山の地形的特徴である、片側が断崖、片側が玉山箭竹の草原スロープが見て取れる。(続く)