2013年08月17日
八通関大山−1
【写真説明】左写真は「台湾古道」ブログの「八通関古道−1」に掲載した写真と同じ位置から撮影、撮影日と時間が異なる。最奥の三角峰が、八通関大山(左)と八通関山西峰である。同写真右側の山塊は玉山群峰、中でも一番高く見えるのは北峰(3,858メートル)、主峰はその奥に僅かに覗いている。中央写真は、撮影当時はこれが八通関大山だという自信は無かったので記録として残しておいた。観高駐在所跡から南側を仰いだ。左写真と同じ、八通関大山(左)と八通関山西峰。同写真右下に八通関に至る古道入口が写る。八通関古道上にある八通関大山登山口は、同写真右に写る八通関山西峰の裏側辺りになる。右写真は八通関大山頂上の日本時代埋設の森林三角点。現在は同頂上は基点無し。
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2013年09月07日
八通関大山−2
2013年09月28日
八通関大山−3
【写真説明】前回紹介の写真が自然景観だったので、今回は人文景観関連の写真を掲載することにした。東段出入口東埔(トンポ)から八通関間の日本時代駐在所跡リレーである。八通関駐在所以外は筆者の台湾古道・台湾百岳ブログを通じ初出である。上掲左写真は八通関古道東段出入口の東埔温泉郷の中で撮影、日本時代の同地のトンポ駐在所跡を物色している際に見付けた日本時代から続く家屋で、日本時代に撮影された写真と引き比べてみると警察官宿舎ではなかったろうかと勝手に想像している。現在の警察署も近くに在る。「玉山古道(新高山歩道)−4」で紹介した門柱もこの家屋から然程遠からぬ所と記憶している。中央写真は、ラクラク(楽々)駐在所跡、今は写真にあるように避難小屋があり、更にここから陳有蘭渓谷に下ると温泉があることになっているが、筆者は降りたことは無し。右写真は、対高駐在所跡、往時を偲ばせるのは、地均しした場所に残るコンクリートのみ。
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2013年10月19日
八通関大山−4
【写真説明】中央金鐄山屋を出発、中央山脈最高峰の秀姑巒山(百岳6号、標高3,825メートル)に登る為には、まず、秀姑坪(3,530メートル)と呼ばれる、秀姑巒山と大水屈山(14号、百岳3,630メートル)との鞍部を目指す。その秀姑坪に至る斜面の登りは玉山連峰の大眺望を背負いながらの急登となりやがて白洋金鐄山屋に至る。右写真はその山小屋に至る手前で撮影した。同写真右側手前から延びる稜線上の大きな塊が八通関大山である。その奥には、右から北々峰、北峰、主峰、東峰(主峰手前の鉤状の塊)、南峰と豪快な吊尾根が鎮座する。右写真はバナイコ山屋(台湾現代表記は「巴奈伊克」等、日本時代のバナイコ駐在所)を過ぎて八通関に向かう途中、右手に競り出して来た八通関大山。
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