2006年08月22日

北大武山−1

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【写真説明】左写真は高雄空港を離陸し水平飛行に移った後デジカメで撮影。今は国内線、国際線共にデジカメの機内での撮影は禁止されている。どうしても撮影したかったらフライト・アテンダントの目を盗むしかない。北大武山は高雄市の丁度東に位置する。従って、この写真は朝方撮影されたもの。写真下段、明るく光るのは高雄県と屏東県の境を流れる高屏渓。中央が北大武山、その右が南大武山(2,841メートル)、左が霧頭山(2,736メートル)である。右写真は、高雄市内の文化中心の建物越しに浮かぶ右から北大武山、霧頭山、井歩山(2,066メートル)である。

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2006年09月15日

北大武山−2

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【写真説明】左写真はパイワン族の村、屏東県泰武村(日本時代:タワルス社)からの大武山の壮観。右の山塊が南大武山、左側が北大武山である。南大武山の方が高く見えるが、実際の標高は2,841メートル、百岳には数えられていない。又、北大武山も岩が迫り出した一番高く見える部分が頂上ではない。頂上は更に写真左奥の稜線上に位置する。右写真は、高雄県美濃鎮の水田越しに望む中央山脈南端。同写真右奥稜線は右から、南大武山、北大武山、霧頭山、左側稜線上の尖峰は大母母山(2,424メートル)である。美濃からの大武山は、高雄辺りから見る女性的な山容とはがらりと変わり、五嶽の一つに数えられる荒々しい山容が露わになる。

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2008年04月12日

北大武山−3

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【写真説明】左写真は北武山登山口に到る道路脇で見掛けた紅葉。12月の撮影。但し、植樹したものである。台湾南部でも紅葉は見られるが、日本のように全山が紅葉で染まるというような贅沢は望めない。右写真は北大武山登山口、2002年7月の撮影であるが現在も同じ看板が立っている。

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2008年05月03日

北大武山−4

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【写真説明】左写真は檜谷山荘に到る途中にある石楠花(シャクナゲ)の回廊と見紛うような見事な群生。縦横に這い回る根もシャクナゲのものである。残念ながら台湾南部の6月下旬の撮影なので花は散ってしまった。中央写真は山荘脇の沢。山荘を登山口側に少し戻った場所には格好の展望所がある。山荘の泊まり客は日没前にはこの地に集う。天気が良ければ高屏(高雄―屏東)平野越しに高雄の街まで望める。左手には北大武山と南大武山の間の大断崖が望める。右写真は同地点から撮影した南大武山に這い上がる雲。

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2008年05月24日

北大武山−5

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【写真説明】左写真は頂上稜線上の台湾鉄杉の立ち枯れ。その白と緑のコントラストは全く見事。中央写真は北大武山頂上山塊を稜線南側から望む。右写真は三角点越しに台東市方面を望む。

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2020年07月04日

北大武山−6

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【写真説明】左写真は2009年モーラコット台風(「八八水災」)後に出来た駐車場、即北大武山新登山口である。登山口は同写真左側、駐車場上部にある。同写真後方に写る稜線最低部が旧来の登山口であり、その後の稜線に登山道が開鑿されている。中央写真はその正真正銘の新登山口。右写真は嘗て本来の登山口まで延びていた産業道路の崩壊した様子。尚、本カテゴリーの再開を飾るべく、以下の本文冒頭に、昨年末iPhone 6で筆者のアパートから撮影したパノラマ写真を埋め込んでおいたので閲覧願いたい。同写真左奥端、井歩山(阿猴富士、2,066b)から始まり、霧頭山、北大武山、南大武山を経て、右端、恒春半島最高峰の里龍山(1,058b)までが写り込んでいる。傑作と言うより、偶々の絶妙のタイミングでベランダに出たからに過ぎない。
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2020年07月18日

北大武山−7

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【写真説明】左写真は旧登山口手前の旧駐車場後、新旧登山口を繋ぐ最後の部分で嘗ての産業道路をそのまま歩く。旧登山口広場にある林務局の看板(中央写真)は昔のママの様である。右写真は新に設置されたステーションで初めてお目に掛かった。ここに詰めるのは相当に体力が必要と同情しきり。
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2020年08月01日

北大武山−8

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【写真説明】旧登山口から暫くの登山道の印象は些かでも残留しているかと予想していたが全くダメだった。登山口からいきなり山深く入り込んでいくものとばかり思い込んでいたが、実際は断崖状の地形に登山道が付いており、この部分もモーラコット台風以降開削し直されたのではないかと勘違いしてしまう始末。登山道は以前のままコースを変えていないことを古い里程標が連続しているのを確認してから気付いた次第。但し、この部分には諸所左写真のように滑落防止の処置が施されていたのは明らかに以前は無かったものだ。中央写真は登山道中唯一記憶に残っていた森氏杜鵑の回廊、但し以前は同写真に写る階段状の渡しは無かったはずで、これは景観を阻害していると思った。右写真は、檜谷山荘までの登山道の最後の急坂を登り切った場所にある、高雄市街地までを見通せる観景台があるが、その直下に開花していた台湾一葉蘭。この観景台からの豪華な眺望は次回投稿で掲載する。序でに前回リストアップした「休憩所-1」(旧登山口から1.75`)「休憩所-2」(同2.5`)のパノラマ写真を添付する。(続く)
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2020年08月15日

北大武山−9

【写真説明】旧登山口から3.5`地点にある観景台からの眺望を三枚掲載する。ここから檜谷山荘迄の距離は約400b、トラック一周なので、大概のハイカーは先ず山荘迄至り荷を降し、空身で戻って来て、夕陽を浴びながら写真撮影に励むのだ。ただこの400b、山荘迄平坦な登山道を辿るものとばかり間違って記憶していたので、アップダウンがあり大いに不満だった。▲部分をクリックして欲しい:

観景台から東側、檜谷山荘方向、即ち北大武山稜線、写真に写る最高点は大武祠が鎮座する地点、三角点が埋定されているのは稜線左端。17時18分撮影。
観景台から南東側、南大武山方面:南大武山(標高2,841b)は百岳ではないが、南一段中の名峰、筆者長年の憧れの山、一度挑戦し大雨の為、撤退したことがある。恐らくもう二度と機会は無いかもしれない。17時42分撮影。
上記二枚は夕方撮影したものだが、この一枚は明朝08時30分の撮影である。二枚目と同方向だが、南大武山の尖峰が明瞭。(続く)

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2020年08月29日

北大武山−10

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【写真説明】檜谷山荘の前身は日本時代迄遡れると謂う知見はあったが、具体的にその前身が何であったか?確かな由来は知らなかった。詳細は本文を参照にして欲しい。その日本時代の名残りと思われる物を何箇所かここで紹介しておく。左写真は山荘の玄関口から最も奥後方の石垣。中央写真は山荘を支える基壇部の石積み。右写真は山荘より低い場所にある様々な石積み、これらの中に本当に優に七十年を越えた日本時代の遺物があるかどうか?保証の限りでは無いのだが。
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2020年09月12日

北大武山−11:西大武山

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【写真説明】以前の投稿で紹介したようにこの山の山頂迄足を延ばしたのは2004年2月である。確かそれ以前に一緒に雪山に登った時のメンバーの一人が声を掛けてくれ、当日この殆ど無名の山のみを目指した。旧登山口から檜谷山荘へのルートの途中で西側へ辿る分岐点があり、布条等で目印がしてある。今回その分岐点に往き当たった時は懐かしい気もしたが、再度辿ってみようと云う気は全く起こらず。当時の印象が一切残っておらず、先ず、その分岐点から山頂迄の距離をイメージ出来ないことが一番の不安だった。左写真は2020年の山行時に撮影した分岐点の表示、中央写真は中途の景観、右写真は西大武山山頂の台湾総督府殖産局森林課埋定の三角点、標高1,894b。下掲の写真は「北大武山−9」で紹介した観景台、標高凡そ2,150bから北側、即ち登山口方向の眺望、手前の稜線の一番左側ピークを西大武山と呼んでいるようだが、同じ稜線上の別のピークも筆者手元の市販地図には同じ表記がある。その後方稜線の左側ピークは日湯真山(ピュマ山、標高1,702b)、右端ピークが鱈葉根山(タラバコン山、同1,556b)、いずれもパイワン族旧部落名である。(続く)
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2020年09月26日

北大武山−12:南大武山

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【写真説明】南大武山(標高2,841b)登頂後に北大武山カテゴリーとして投稿記事を足し込む予定にしていた。既にこのブログの中で何回か言及したのだが、2016年年末当時の筆者の体力を考慮し、通常三日間とされる山行を四日間組んで臨んだのだが、大雨の為二日で下山した。当時撮影した写真を見ると、駐車した場所、そこからクワルス渓(現代台湾表記「瓦魯斯渓」)を渡河、廃棄された南大武林道を探し出すのに一苦労、一日目の宿泊地である佳興山荘(林務局工寮)(登山口から11`地点、標高1,300b)に辿り着くまでの写真が一枚も残っていない。又、撮影した全ての写真が濡れそぼったカメラを即座に連想させる。登山道延長は約19`(駐車・渡河地点で2`程度はプラスする必要あるかもしれない)、落差は2,600b、大部分は既に朽ち果てた林道を辿る。惨めな山行の果てに辿り着いたのは、登山道が林道を離れる地点(15`)近くの吐蛇流山三角点、登山口から13.5`地点である。この時の強烈な印象は、一つは、嘗ては作業車が往き交っていたであろう林道とその沿線がすっかり南台湾のジャングルに呑み込まれたおどろおどろしい景観、二つ目は、山荘とは名ばかりの工寮の荒れ振り、三つ目は、筆者自身の急激な体力の衰えを認識する羽目になったことである。標高260bのクワルス渓底の登山口周辺の写真が皆無なので、今回の南大武山紹介記事は、山行第一夜の露営地と云う表現が似合う佳興山荘の紹介からスタートする。「佳興」とは現在の屏東県泰武郷佳興村、日本時代はプンティ社と呼ばれていたパイワン族の集落である。現在の集落はクワルス渓右岸の高台に移遷しているが、旧部落は、同渓の左岸側、正に南大武山の登山道途中に位置しており、クワルス渓を挟み、お互いに対峙する位置関係にある。以上は迂闊にも下山後判ったことである。嘗て、佳興村を訪ねた時、旧社の在処を尋ねたのだが、答えて貰えなかったのだ。(続く)

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2020年10月10日

北大武山−13:南大武山−2

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【写真説明】佳興山荘出入口から真っ直ぐに登山道とは別方向に竹藪の中を辿ると、差し渡し30bはあろうかと思われる池塘がある。池塘という表現は多分正しく無い。冬場で水が枯れているが、夏場は池状になっているはずだ。左写真は池の入口を佳興山荘を背にして臨んだ。中央写真は池全体、一条のミニ川が流れ込み池が形成されている様子が判る。右写真はそのミニ川の出水口。平坦地に加え、この水場の存在故、佳興山荘の地として選ばれたはずだ。地元民、作業員、登山者が長らくこの水の恩恵を被って来たのであるが、打ち捨てられた地上の生活物資が池の底から覗いている。残念ではあるが、一度大掃除でもすれば、誠に麗しい深山の清涼剤である。(続く)
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2020年10月24日

北大武山−14:南大武山−3

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【写真説明】佳興山荘での一夜は激しい雨音の中だった。南大武山頂上付近の岩場のことは聞いていたので、それらが全て雨に濡れ滑り易くなっている岩盤表面をイメージしながら、即座に下山を決めた。只、山荘からそのまま下山するのも勿体無い気がし、旧林道兼登山道を更に3`程辿った地点に登山口がある吐蛇流山迄足を延ばすことにした。これは前日、登山口から6`地点に登山口のあるはずの文丁山(標高877b)を逸してしまったこともその理由である。左写真は山荘を出発してから半時間程の場所からクワルス渓の対岸の集落、屏東県泰武郷泰武村(クワルス社)、旧集落は同写真の右方向にある。これら新旧二つの集落の間に、トクブン社(現在の集落の在処判らず)とカピアン(カピアガン)社(現在の同県同郷佳平村)が同写真下側に見て取れる、北大武山登山口へ向かう産業道路沿いにある。中央写真は吐蛇流山への道標、右写真はその山頂に埋定された陸測三等三角点、三角点の保護石まで完全に残っている。
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2020年11月07日

北大武山−15:南大武山−4

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【写真説明】日本で山登りをしていた頃は、所謂山行記録をまめに取っていたものだが、デジカメの出現で手書きのメモは全く徒労でしかなくなった。佳興山荘を後にし下山を開始しクワルス渓岸の駐車地に戻る迄の時間軸は、撮影した時間データに依ると下掲の通りである。とは言いながら、このように改めて時間データを並べてみたのは筆者自身初めてのことである。その理由は、当時の僅か二日間の撤退行の間、始終雨に濡れ蘇ぼれ、脳味噌迄朦朧としたような気で只只管(ひたすら)歩き続けるだけの状況だったので、一度記憶と実際撮影したイメージの整合を取っておこうと思い立ったからだ。前述の朦朧とした気分は、実は最初の投稿記事の中で書いた体力の急激な衰えの故である。佳興山荘前後の廃棄林道の状態は明瞭な違いがある。前段は林道自体が高低様々な草木に覆われ嘗ては林道であったことが想像し辛い。後段は前回投稿で紹介した通りである。詰り、廃棄林道を取り巻く植相が大きく違うと云うことである。
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2020年11月21日

北大武山−16:南大武山−5

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【写真説明】ジェラシックパークを過ぎてクワルス渓迄降り立つ廃棄林道はびっしりと草に覆われ、嘗て林道であったことを想像するのは難しい。そのような景観を三枚選んでみた。写真左から右へ、高度が下がる。右写真の右側に白い部分が僅かに写っているがクワルス渓底の水である。詰り、クワルス渓左岸沿いの林道部になる。この山行を終えた時は、再度挑戦することも無かろうと諦めていたのだが、投稿記事を書きながら、何故か沸々と山頂迄辿りたいと云う思いが湧いて来た。(終り)
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