2006年08月21日
「台湾百岳」について
【写真説明】左写真は郡大山(百岳54号:3,250メートル)の稜線上の樹氷。2005年元日の朝、撮影したものである。寒気団が入り込むと3,000メートルを越す山岳ではこの程度の樹氷は台湾でも普通に見られる。百岳中の第54座であるが日本でこの山より高いのは富士山のみである。郡大山は玉山の東側に位置し、陳有蘭渓、即ち八通関古道を間に挟み玉山に向き合う。登山口から頂上までの往復のみを考慮すれば日帰り可能な百岳の一座であるが、登山口に到る林道は厳しい管制が敷かれ入山証無しでは入れない。しかも登山口手前の数キロの林道の崩壊は激しい。 右写真は南湖杜鵑(南湖シャクナゲ)を前景にした南湖大山(百岳8号:3,742メートル、手前)と中央尖山(百岳11号:3,705メートル、奥)。2004年5月の撮影。南湖大山一帯は鹿野忠雄が推察した見事な圏谷(カール地形)が広がり、さながら台湾の桃源郷である。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2008年07月26日
「台湾百岳」について−2:標高と序列
【写真説明】左写真は台湾第二の高峰、雪山(標高3,886メートル)三角点。日本時代は新高山(玉山)に次ぐ高峰ということで次高山と呼ばれていた。ところが、台湾百岳制定当時は第五番目に格下げされた。今はその後の測量で再び二番目に戻っている。日本時代に設置されたこの三角点は無残にも折れている。右写真は中央山脈の最高峰(百岳6号)の秀姑巒山(標高3,825メートル)の三角点。三角点の礎石部分が完全に露出している。まだ全部百岳を登ったわけではないので確認出来ないが、百岳頂上にある三角点は例外なく日本時代に設置されたもののはずである。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2008年09月27日
「台湾百岳」について−3:点の記
【写真説明】左写真は私が初めて台湾最高峰玉山(旧新高山)に登った時に撮影したもの。実はこれは珍しい写真である。というのは、台湾最高峰を極め狂喜している登山客が写っていないからである。もし玉山に週末、祝日を利用して登頂する場合、頂上は人だかり、皆この頂上の石碑と共に記念撮影に余念がなく辛抱強く順番を待たなければならない。登頂の前の晩に拝雲山荘に泊まり込んだ登山客は翌朝三時過ぎには起きて準備を始める。当時私も週末利用組だったが、その前の晩、他のパーティーのテントに潜り込み盛んに高粱(こうりゃん)酒を飲み、そんな早い時間にはとても起きれず、加えて朝起きたら寝袋の中がぐっしょり湿っている。高所低気圧でアルコール度の極めて高い酒(通常は58度、最近はアルコール度数を抑えたのも市販されている)を飲み過ぎた為寝小便をやらかしたのだ。そんなわけで二日酔いで朦朧とする頭を抱えやっと頂上に辿り着いた時は、他の登山者は下山した後だった。石碑右肩に写る尖峰は関山(百岳12号:3,668メートル)。右写真は玉山一等三角点標石。大正6年10月13日(1917年)に陸地測量部(現在の国土地理院の前身)江口萬蔵に依り埋設、「一等三角點」の刻字は写真左側面にある。因みに、台湾百岳の中で一等三角点を擁するのは11座である。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2008年10月18日
「台湾百岳」について−4:三角点
【写真説明】左写真は、台湾山岳を代表する「五嶽三尖一奇」のうち「一奇」として登山愛好家の尊崇を集める奇來主山北峰(百岳16号:標高3,607メートル)の一等三角点。地表に出た標石部分が折れてしまい小石を下に入れて曲がりなりに起立させてあった。後方の緑のなだらかなスロープは合歓山連峰、左から東峰(百岳33号)、主峰(同34号)、石門山(同70号)、西峰(同81号)、北峰(同32号)が横並びに見えている。更にその後方の稜線は雪山山脈。尚、何故わざわざ「一奇」と呼ばれるのか、その一端は筆者の別ブログ「台湾古道」の「能高越嶺古道−10」で少しばかり紹介しておいたので参照して欲しい。右写真は、卑南主山(百岳50号:標高3,295メートル)の一等三角点、地表に出た標石がかろうじて残っていた。写真に写る標高は旧版、年月日は中華民国年号。私がこれまで本当に苦労して登ったと思う百岳はこの卑南主山と畢禄山(百岳36号:標高3,371メートル)の二座で追々その話はする機会があると思う。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2009年01月31日
「台湾百岳」について−5:新田次郎「劔岳 点の記」
【写真説明】私の友人が測量に携わる者のバイブルとして紹介してくれた新田次郎の「劔岳 点の記」を読み終えた。山登りに興味が無ければなかなか楽しめない小説だと思う。これは仕方がない。加えて雪山の経験があれば尚更臨場感があろうというものである。雪渓の話がよく出てくる。劔岳より遥かに高い山々が連なる台湾では、緯度上は半分が熱帯なので雪渓は形成されない。雪崩が起きることも無い。それでも厳冬期の日本の山を彷彿とさせる様が現出する。写真は、雪山主峰(日本時代の次高山、標高3,886メートル、百岳第2座)東壁、雪山東峰(同3,201メートル、百岳第72座)から望んだもの。1月の撮影。主峰山頂は写真左奥稜線の最高点。台湾人でも台湾百岳のどの一座かに登ったことがあれば、「劔岳 点の記」は十分楽しめると思う。映画の方はもう試写会が始まっているそうだ。台湾の山岳愛好家の間でも話題になりそうだ。願わくは、それら台湾の愛好家が目にする三角点は、同書で描かれているのと正に同じ苦労をしながら、陸地測量部柴崎芳太郎の先輩、同輩、後輩達によって埋定されたことに思いを寄せて欲しい。
[写真をクリックして拡大] 本文へ...
2009年10月31日
「台湾百岳」について−6:「台湾小百岳」
【写真説明】嘗ては左二枚写真(2000年11月撮影)のような光景が高雄市の寿山(柴山)全体で見られた。その後、猿の間に伝染病が入り込んだことがあり、それを切っ掛けに、野生保護の名目下、猿に食べ物を供することは厳禁、罰金刑が導入された。成長した猿の面構えは実にいい。最近では人間の方にこういう面構えの人が少なくなってきたと思う。2009年3月撮影。
[本文へ...]
2011年02月05日
「台湾百岳」について−7:「単攻」
【写真説明】「五嶽一奇」の奇莱山塊の豪快な山容、奇莱南峰(3,358m、第40座)頂上から望む。中央部が主山(3,560m、第20座)、その左の尖峰が北峰(3,607m、第16座)、さらにその左の一段低い頂が屏風山(3,240m、第62座)である。いずれの峰も「単攻」の対象である。
[本文へ...]
2012年05月12日
「台湾百岳」について−8:『台灣山岳』
【写真説明:写真はクリックして拡大】タイヤル族の聖山、大覇尖山(28号、3,492メートル)とその稜線を池有山(48号、3,303メートル)山頂下から望む。大覇尖山は今現在は山頂への登山は危険な為禁じられているはず。1927年(昭和2年)、台湾山岳会会長、沼井鐵太郎一行が「人類」として初登、「人類」とはタイヤル族は聖山を汚していないという意味だと思う。以前にも書いたと思うが、沼井はこのブログの副題でもある「聖稜線」の名付け親。
[本文へ...]
2013年02月09日
「台湾百岳」について−9:「富士山」
【写真説明】「台湾富士」=新高山=玉山を郡大山(百岳60号、3,263m)から望む。2005年1月撮影。本来、新高山とは玉山主峰のことである。「台湾富士」と呼ぶ時も新高山のみを指していたのかもしれないが、玉山は見る角度に依り極端に山容が変わるので、日本の富士山のようには行かない。今回掲載した写真では、左から、東峰、主峰、北峰、西峰が覗いている。主峰の半分ぐらいは北峰の峰と稜線に遮られているのだが、却って、その北峰、主峰の重なりが富士山様の山容を呈している。
[本文へ...]
2018年11月24日
「台湾百岳」について−10:「元標」
【写真説明】本投稿は弊ブログ「台湾古道」の2018年10月06日付け「八通関古道竹山段−13」で投稿したものの再録である。本来、当該ブログの投稿記事として相応しいものと考えたからだ。左写真は竹山市街地内の南投県政府警察署竹山分局と竹山郵便局が隣接する前山路(同写真正面)と集山路(同写真左側)の公差点に立つ時計台。その袂に、日本時代の地形図製作の為の測量原点「元標」(中央写真)が保存され、二段抜きの案内板(右写真)が立つ。同写真上に「100余年前(明治33年)の日本人は、どの様にして三角点を利用し山頂の海抜を算出したのか?」と読める。「元標」には「標高五百十四尺」と刻まれている。以上、2016年7月撮影。
[本文へ...]
2018年12月08日
「台湾百岳」について−11:「富士山」-2
【写真説明】(写真説明は後段)閑話休題がもう少し続く。今月日本から七十を越えられた先輩が来台されたので、清境農場に御連れした。恐らく台湾で一番人気のある観光地である。「台湾のスイス」と呼ばれることは、弊別ブログ「台湾古道」で書いたことがある。標高が約二千メートルの高地にあるので、運が良ければ冠雪に巡り合える。台湾中南部から合歓山連峰を目指すなら、必ず経由することになる。筆者に取っては、清境農場は通過地点でしかなく、ここを通過する際如何に車両の異常な渋滞を躱すかに専心する。この農場の人気の高さは放し飼いの綿羊であり、それ故、家族連れが圧倒多数であり、その中に、六十を越えた筆者と七十を越えた先輩二人が紛れ込んだわけだ。
[本文へ...]
2023年10月14日
新刊書発行のご案内:『新・台湾紀行−硬派のためのエピソード集』
既に「台湾古道」ブログの読者に対しては、この新刊の件はアナウンス済みだ。というのは、今回の新刊書の中に盛り込んだ記事は、元々台湾古道シリーズとしてメルマガ『台湾の声』を通じ配信したものがベースである。発刊の運びとなった書籍の内容、構成、発刊の経緯等の詳細は、アマゾンの商品紹介の中の情報とフリーサンプルでフルでカバーされている前書きを参照にしていただければ嬉しい限りだ。
一つだけ以下のコメントを付け加えておきたい。今回本書に所収されている原稿は、令和2年〜4年の丸三年間に渡りメルマガ『台湾の声』に投稿・配信されたものだ。その前身は、同じく『台湾の声』への8年間に渡る台湾古道に関する投稿だ。この過去の古道シリーズ投稿の補遺版作成の構想を兼ね兼ね持っており、それをここ三年で実行したわけだ。この補遺版でカバーされている内容は古道に限定されておらず、多くを台湾山岳にも割いているので、ここで紹介している次第だ。
従って、今回の発刊に際し新たに文章を起こす所謂生みの苦しみに悩まされることはなかった(但し、何度も読み直さなければならないことには閉口したが)代わりに、電子書籍自体の制作は手強かった。初めての電子書籍への挑戦と云うこともあり、出来るだけ単純な書籍構成と相成った。表紙デザインの失敗だけは回避したく、プロにお願いした。幸運なことにここで見るようにこのプロ氏には非常に良い仕事をしていただいたと思う。古道シリーズよりも百岳シリーズに相応しい自身で撮影した写真を選んだ。実際、本書所収の以下13編の内、太字のタイトルが百岳、山岳関連となると思われるので、是非本書を手に取ってみることを切にお薦めするものだ。本ブログの読者がもし『台湾の声』の会員であれば、既にこれらの配信は受けていることになる:
エピソード一 台湾百年古蹟−測量基点
エピソード二 阿罩霧圳と霧峰林家
エピソード三 南蕃騷擾殉職警官碑
エピソード四 「水」地名考
エピソード五 台湾の国鳥
エピソード六 「鹽の道」−裕仁皇太子台湾行啓
エピソード七 裕仁皇太子台湾行啓−高雄巡啓と壽山古道
エピソード八 壽山−水の物語
エピソード九 台湾の桃源郷−南湖大山とシャクナゲ
エピソード十 氷河時代の「生き残り」−ニイタカトドマツ
エピソード十一 蘭嶼(再録、補遺の二部編成)
エピソード十二 台湾地名考−国民政府による「日本風」地名命名
エピソード十三 六亀特別警備道(再録、北段、南段の三部編成)
(終り)
一つだけ以下のコメントを付け加えておきたい。今回本書に所収されている原稿は、令和2年〜4年の丸三年間に渡りメルマガ『台湾の声』に投稿・配信されたものだ。その前身は、同じく『台湾の声』への8年間に渡る台湾古道に関する投稿だ。この過去の古道シリーズ投稿の補遺版作成の構想を兼ね兼ね持っており、それをここ三年で実行したわけだ。この補遺版でカバーされている内容は古道に限定されておらず、多くを台湾山岳にも割いているので、ここで紹介している次第だ。
従って、今回の発刊に際し新たに文章を起こす所謂生みの苦しみに悩まされることはなかった(但し、何度も読み直さなければならないことには閉口したが)代わりに、電子書籍自体の制作は手強かった。初めての電子書籍への挑戦と云うこともあり、出来るだけ単純な書籍構成と相成った。表紙デザインの失敗だけは回避したく、プロにお願いした。幸運なことにここで見るようにこのプロ氏には非常に良い仕事をしていただいたと思う。古道シリーズよりも百岳シリーズに相応しい自身で撮影した写真を選んだ。実際、本書所収の以下13編の内、太字のタイトルが百岳、山岳関連となると思われるので、是非本書を手に取ってみることを切にお薦めするものだ。本ブログの読者がもし『台湾の声』の会員であれば、既にこれらの配信は受けていることになる:
エピソード一 台湾百年古蹟−測量基点
エピソード二 阿罩霧圳と霧峰林家
エピソード三 南蕃騷擾殉職警官碑
エピソード四 「水」地名考
エピソード五 台湾の国鳥
エピソード六 「鹽の道」−裕仁皇太子台湾行啓
エピソード七 裕仁皇太子台湾行啓−高雄巡啓と壽山古道
エピソード八 壽山−水の物語
エピソード九 台湾の桃源郷−南湖大山とシャクナゲ
エピソード十 氷河時代の「生き残り」−ニイタカトドマツ
エピソード十一 蘭嶼(再録、補遺の二部編成)
エピソード十二 台湾地名考−国民政府による「日本風」地名命名
エピソード十三 六亀特別警備道(再録、北段、南段の三部編成)
(終り)
2024年07月27日
投稿暫定停止のお知らせ
「台湾百岳」ブログの読者の方々へ:
予てより弊ブログをお引き立て賜りありがとうございます。
誠に勝手ながら本ブログ主宰者の一身上の都合により、本年度末まで投稿を停止致したく、ご理解賜るようお願い致します。
再開の折には、改めてご連絡させて頂きます。(了)
予てより弊ブログをお引き立て賜りありがとうございます。
誠に勝手ながら本ブログ主宰者の一身上の都合により、本年度末まで投稿を停止致したく、ご理解賜るようお願い致します。
再開の折には、改めてご連絡させて頂きます。(了)