2024年02月17日

俯瞰図:雪山主峰

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今回の俯瞰図は前回雪山北峰俯瞰図の聖稜線を南に延長させたに過ぎない。本来の聖稜線の最南端は雪山主峰である限りに於いてそれで良い。今回当時撮影した写真を何度も行きつ戻りつしながら感じていたのは、聖稜線はその終結に向かい独特の風貌を露わにし出し始めたなと云うことだ。独特の風貌とは鹿野忠雄が特定した無数に近い氷河遺蹟たる圏谷の集合体が描き出した曲線美とでも言えるかもしれない。神はこの曲線を雪山山脈に閉じ込める一方で、太字の荒々しい直線性を玉山山脈に封じ込んだ。。。そんなことを考えてみた。本来の俯瞰図は、鹿野が元々1号として特定した圏谷のみをクローズアップし、聖稜線を終結させた。

鹿野忠雄の功績―昭和7年(1932年)『地理學評論』上に発表した小論文「臺灣高山地域に於ける二三の地形學的觀察」、その後に続く二編の論文「臺灣南湖大山山彙に於ける氷蝕地形に就いて」(昭和9年・1934年)と「臺灣次高山に於ける氷河地形の研究」(昭和10年・1935年)―の一端は雪山山系に於いて32箇所の圏谷を特定している。その辺りの事情は「エピソード九 台湾の桃源郷―南湖大山とシャクナゲ」として拙著『新・台湾紀行』の中で紹介している。グーグル・マップでは第1号圏谷のみの記載だし、筆者の手元の市販地図帳では第2号止まりだ。尤も、この1、2号圏谷が鹿野忠雄特定のそれらと同じものかどうかは判然としない。というのは、これも『新・台湾紀行』の中で説明したが、台湾の戦後アカデミアでは、圏谷の用語を廃し冰斗に置き換えているからだ。いずれにしても、鹿野忠雄特定の1から3号圏谷を現代の地形図上にプロットしてみた。更に、南側からの俯瞰図に加え筆者のカメラと同じ方角からの俯瞰図も併せて並べた。

独特の風貌を定義するもう別の一つは第1号と第2号の圏谷壁を自ら攀じ登ろうとしているかのように感じさせる登山道の幾何学模様だ。これらの模様(もよう)は紋様(もんよう)へと変じる。

以上、既に筆者の言葉が枯渇しているのだが、カテゴリー『雪山主峰』のエピソードはなるべく次高山の風貌に迫りたいと希望するものである。(終り)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 百岳俯瞰図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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