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品田山の書き起こしも池有山と同じく山名考から始める。明らかに「しなだ」と読むべきだろうと思うが、台湾側のエピソードだと「しなだ」と云う姓の日本人に由来するのではなさそうだ。池有山と同じ資料に依れば以下の通りだ(筆者拙訳)。訳文中の()部分は筆者自身の註であるが、タイヤル語のカタカナ表記は参考程度に読んで欲しい:
品田山は典型的な日本(語)式山名だ。日本語の発音は「シナダ」、当時この名前を選定した日本人は本州東北地方の出身者に違いない。と云うのは元々東北地方の人々は常々湿地帯を「田」又は「岱」(タイ)と称しており、岱は更に山中の湿地も指し、日本の古語では「田井」と云う用例がある。「品」は日本語の中では非常に多くの意味があるが、東北地方の場合、特に「田」を以て山名に多用されているのは、山中に多くの沼沢や水池があるからだ。実際の用例としては、八甲田山、八幡平、十和田等がその一例だ。以上の用例に依り、品田山の日本語中に於ける意味は、恐らく多くの湿地、水池(池塘)を持つ山と云うことになるだろう。実際、品田山から喀拉業山の稜線伝いには多くの水池が存在しており、タイヤル族は特にこの山域を「siron」(シロン)と呼んで来たが、正にタイヤル語で水池の意味である。就中、品田−池有の間は特に水池が集中しており、日本人は元々「tamalabu」(タマラブ)<日本人の台湾領有初期は「タマラフ:日本漢音表記は玉羅府」>と呼称されていた山域を池有山に改編、元々「pochinsiron」(ポチンシロン)<タイヤル語で最後の水池の意>と呼称されていた山域を、純粋に高山水池の地理的特性に依り品田山と改編した。従って、品田山の名の由来は、広く流布しているように頂上山塊を形成するユニークな岩石の褶曲構造が「品田」の漢字に見えるからではなく、台湾の山岳コミュニティによって広められたデマの結果である。
残念ながらこの台湾サイト上の山名考には出典が明記されていないので、上記の説にどれ程の専門性と信憑性があるかは筆者では判断が付かない。何れにしても、湿地と云う地理的特性を切り口にしている部分は、山肌に浮かび上がる品田様の漢字の字面説よりは説得力がありそうに思える。
聖稜線O線に於いて、品田山から雪山北峰間の稜線は連続する断崖故にハイカーにとっては縦走の白眉となる。日本での登山経験が専ら中央・南アルプスに集中し、北アルプスはほんの齧った程度の経験しか無かった筆者にとり、聖稜線断崖が一般ルートとは俄かには信じ難かった。その洗礼を最初に浴びたのが、品田山頂上から更に西側に縦走を進めるべく大きくダウンする品田断崖だった。実際、聖稜線O線上の上記区間の著名な断崖は素密達を加え二箇所のみなのだが、同日に二箇所とも越えなければ(実際は降る)ならないのも手強い部分である。
今回の俯瞰図は、従って先ず品田断崖が口を空けてハイカーを待ち構えている北側からの絵とした。台湾第二の高峰、雪山主峰への入門ルートである、武稜農場から雪山東峰経由の縦走路から仰ぎ見るのは南側稜線で、今回の俯瞰図の稜線とは真逆であることもわざわざ北側稜線の俯瞰図を採用した理由の一つだ。南側稜線に堂々たる異様(威容)を呈している品田山は誰でも直ぐに認識出来るのは前述の山名由来の記の中に出て来る褶曲構造故である。追って今後の投稿の中で紹介する予定だ。
今は亡き妻がもう一度歩いてみたかったのは聖稜線O線であることを私は知っている。最早夢となってしまったが、私一人ですら夢物語である。(終り)
2023年04月29日
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