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本来、南湖大山東峰の投稿を終えた後は、中央山脈から離れ愈々雪山山脈の台湾百岳の紹介に移る予定だった。ところが、東峰紹介の後に南峰の紹介が間に合うタイミングで南湖大山三回目の山行を敢行出来た。その時点で台湾百岳50座完登までに残り一座、5月第2週に唯一与し易しと想像していた中央山脈北二段に属する鈴鳴山への山行を組んだ。既に「閂山」で紹介済みのように、通常は閂山と鈴鳴山の百岳二座は、共に730林道沿いに登山口を持つ為、山中一泊、乃至は二泊で登れてしまう。短時間で百岳二座征服可能な手軽さが、北二段中では脇役的な山容を擁するこれら二座の最近の人気の理由だ。しかも、閂山へは登攀済みなので、鈴鳴山も又与し易しと考えていた理由である。
八年前(2014年5月)、閂山山行の入山前に露営地として利用した、730林道入口にあった林務局環山検査哨の建物は消えていた。しかし、その後の車道としての同林道のワイルドさはそのままであり、恐らく今現在自家用車で乗り入れるハイカーは皆無ではないかと思われた。730林道自体は既に廃棄されており修復する予算など無いと思うのだが、その状況は逆にこの林道走破に先鋭化された白タクサービスを大いに繁盛させていると思った。林道約11`地点の白タクサービス終点、即ち北二段登山口から閂山・鈴鳴山登山ベースの林道25`地点の工寮迄の歩行区間には大きな変化は見られなかった。
この通称25K工寮は、先に閂山に登った際に一泊したのだが、倒壊寸前の様相を呈していたと云うイメージがあった。最近のネット上の山行記録を見る限りでは、この古典的な林務局工寮は最早宿泊所としての機能は失われているものと考えられた。実際は、板敷きの床はまだまだしっかりしており雨、風、夜露は完璧に防げる。約23`地点の閂山登山口からこの工寮までの登山道沿いに多くの露営地が設営されているのを目撃した。詰まり、25K工寮のスペースが増え続ける登山客を収容するには余りにも小さ過ぎると云う事に合点が行った。
「与し易し」の実際はどうだったか?出発前にガイドから往復5時間、どんなに時間が掛かっても6時間だと言われた。これは全く正しかった。悪天候を考慮すれば筆者の往復6時間強は標準と言えそうだ。しかも同じルートを往復したのではなく所謂O線ルートを辿り復路の延長が往路を遥かに超えてしまった。もう少し具体的に書くと、次のようになる(筆者の実際のルート図も参照):
[往路]=新ルート(人待山ルート)25K工寮を出て程無くして林道を離れ、人待山への稜線に取り付く;人待山北峰を経て人待山頂上を越すと、鈴鳴山との鞍部に向かい下降、降り切った後は鈴鳴山西側の断崖南面の斜面を登り、鈴鳴山頂上稜線まで辿る、後は頂上まで緩い登り。25K工寮〜頂上の距離は大凡3.8`、落差は約500b弱。
[復路]=伝統ルート(林道ルート)鈴鳴山と人待山鞍部から南側の斜面を下りに下り730林道出合いまで。後は林道沿いに工寮まで。復路の総延長は大凡5.2`、往復合計約9`。
何が辛かったかと言うと、人待山北峰迄の約1時間の急登と頂上稜線に出ても降り続く雨。。。
閂山登山の時もそうだったが、鈴鳴山登山の際もその山容に対する予備知識ゼロだった。鈴鳴山を含む北二段、南湖大山、中央尖山を含む北一段の全容は730林道の後半部分に数箇所ビスタポイントがあった。そこで鈴鳴山が尖峰であることは確認しておいた。但し、鈴鳴山登山当日は雨、風に見舞われ山容を確認する機会は全く無かった。尖峰とは言え、実際は玉山箭竹(ニイタカヤダケ)に覆われた草原状を呈しているのだが、晴れていれば極めて優雅な風景であっただろうと悔やまれた。
最後になるが、鈴鳴山と人待山の山名の由来である。日本人が付けたのだろうというコメントを台湾サイト上で見掛ける。多分そうに違いないが、それ以上に踏み込んだ説明に出会えない。(終り)
2022年06月18日
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