2021年07月31日
白姑大山−3
【写真説明】左写真は露営地である司晏池附近から撮影したものか、未だ露営地に行着く前に撮影したのかは記憶に無い。山行初日の一番遅い撮影時間は17時半、2月なので既に相当暗かったと思う。同写真中央上の暗い稜線は中横霧社支線に沿っており、やや右側の三角峰は文字通り三角峰(標高2,376b)で、日本時代からそう呼ばれていた。山裾は既に紹介済みの翠峰、日本時代は「追分」、この三角峰山頂、追分駐在所跡は今は台湾大学山地実験場に取り込まれているので、この合歓越嶺古道並びに沿線の遺物を踏査するには予め申請が必要だ。筆者は未だその機会に恵まれていない。最後方の山並みは光頭山、白石山、安東軍山方面か、或いは干卓万山方面かもしれない。逆に同写真下に写るのは三錐山のはずだ。中央写真は露営地、この写真は山行三日目朝、下山する日に撮影したもの。同じ露営地に二泊したのだが、写真に残っているのはこの三日目朝に撮影したもののみ。暗闇の中の帰投と出発であったことが伺える。右写真は露営地脇の池塘、司晏池のはずだ。この水を濾して飲んだかどうか?も記憶無し。(続く)
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