2021年01月16日

屏風山−3

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【写真説明】屏風山への登山以外に期待していたのは、通称合歓金礦(鉱)跡を見ることだった。当時は日本時代の開鑿だと漠然と考えていたからだ。この記事を起こすに当たり改めてネットを渉猟してみると、当該情報は筆者の想像より極端に少なくしかもそれらは同じ新聞(聯合報)の記事に依っている。屏風山も含め台湾の金採掘の歴史を概観したものは河内文化社のオンライン台湾百岳(「線上臺灣百岳全集」)が秀逸だと思う。いずれにしても、最近の開鑿は1975年に屏風山合歓金礦公司が採掘権取得、1979年に採掘開始、その後日本の会社も協力した模様だが、三年以内に採掘を放棄したようだ。以上のような採掘履歴なので登山道上で目撃した金鉱残骸は上掲の左・右の写真のみ。同列中央写真は、下掲左写真の屏風山登山道のマイルストーンの一つ、鉄線橋下の立霧渓、同写真上側が上流、嘗ての金鉱方面である。鉄線橋は登山道の最低部、2,000bを割り込んでおり登山口との標高差はマイナス約500bもある。登山口から急坂を下り立霧渓支流底に至った時はその下りに失望したものだが、更に大下りを経ていたことには気付かなかった。下掲中央写真はベースキャンプ、通称松針営地、文字通り松林が美しい。右写真はその細い水場。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | 屏風山(第65座:3,250m) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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