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台湾百岳の中で、屏風山は「一度登ればもう二度と登りたくない」一座の代名詞である。それを2012年10月、定番通り三日間掛けて登り切った。それ程昔の話でも無いと思い込んでいたが、もう八年も経ってしまった。南大武山の紹介記事の中で述べたように、台湾にて登山を再開した時、登山中にメモを取ることはしなくなった。それでも屏風山の場合、下山後暫くしてからだったか、或いは数年後だったか、登山の印象をメモしている。それらのメモを数回の投稿に分けて小出しに紹介する方法もあろうが、屏風山の最初の紹介である本投稿の追記で一気に掲載することにした。
それにしてでもである。この項の最下段に標準的と思われる時間軸を抜き書きしておいたが、頂上往復の総時間が19時間も掛かるのである。休憩、食事の時間を足し込めば優に20時間を超える山行なのだが、何故か、伝統的にと思われる位にこの屏風山は単攻の対象とされて来た。この場合の「単」とは一日のことだが、12時間に非ず、24時間である。これは今でも筆者には解せない。
屏風山は奇莱主山主稜から北側稜線続き、合歓山群峰と対峙し、文字通り屏風の如く立ちはだかる。下に掲載した筆者が辿ったコースが屏風山への唯一の登山ルートと思い込んでいたが、このカテゴリーを書き起こすに当たりネットを渉猟していたら、実は2コース、新旧登山道があることが判った。これらは鉄線橋を過ぎた後に露営地があるが、この露営地附近に分岐点があり、旧コースは頂上に繫がる尾根に直接取り付き、他方新コースは、金鉱跡を経由し南側の尾根に取り付き、最後は頂上稜線南側に往き当たる。筆者が往復したのは新コースであるが、新旧両コースを辿る(所謂O線)向きもある。新コースが遥かに長いのだが、何故わざわざ長いコースを開鑿したのかはその内誰かに聞いてみる積りだ。
<基本路程:新コース>
大禹嶺登山口⇒(30分)渓底⇒(30分)急登頭⇒(135分)鉄線橋⇒(45分)露営地⇒(90分)金鉱⇒(30分)第4水源(登山口)⇒(225分)三叉稜⇒(15分)三角点:合計600分(10時間)
三角点⇒(15分)三叉稜⇒(180分)第4水源(登山口)⇒(30分)金鉱⇒(60分)露営地⇒(30分)鉄線橋⇒(150分)急登頭⇒(30分)渓底⇒(45分)大禹嶺登山口:合計540分(9時間)
以下、下山後の某月某日記す:
大禹嶺表示板手前の登山口から渓底までは急下降⇒渓底から登り始め一本の沢を渡った後崩壊した斜面を急登、踊り場まで登り切ると、後は鉄線橋に至るまで緩やかな下り、途中一本乾季の間は枯れそうな沢を渡る、又、金鉱に送電していた名残りの電柱に遭遇、最後は鉄線橋に向かい下降、鉄線橋を渡り切ると豊富な水量を持つ水場を備えた露営地、暫く急登した後は、松林の平坦地が露営地まで続く。露営地から暫く坂を登るとやがて平坦地に移り金鉱まで続く。鉄線橋上部から金鉱までの登山道は松を主体にした美しい樹相を呈している。
金鉱を過ぎると四本の沢を渡るが、一本目の沢両側の崩壊は激しく危険、四本目の沢が過酷な急登の始まり、頂上稜線までの登山道は殆どロープを張り巡らされ急登を強いらされる。稜線直下は原生樹林の中の急登であるが、その下はドン突きに頂上稜線から岩場が迫り出た狭い長いガレ場になっており、全登山道の中で最も危険、台風等大雨後にこの場所を登るのは落石の危険甚大で自殺行為。
稜線に出るとそこは三叉路になっており、三角点へは左折、少しだけ竹薮を潜ると登山道脇に、テント二張程度は可能な清潔な露営地あり。「屏風山頂上は展望が利かず」と聴いて来たが、三角点が埋設された地点はその通り、但し、三角点に至る稜線は気持ちの良い笹原が広がり、又、眺望は絶品!屏風山遠望は、頂上まで樹林帯が競り上がっているように見えるが、実際は片側は断崖、その反対側はゆるやかな笹原という典型的な台湾山岳の稜線を形成している。稜線上には幾つか頂上候補があり、一番奥にある瘤が最も明瞭に独立しているので、そこまで上り下りを強いられるのかと思うと気分が重くなるが、実際は、最初の鞍部と瘤を越え、次に現れる不明瞭な丘状の盛り上がりが頂上だった。
屏風山は台湾百岳の中ではポピュラーでは無いと云うより悪名高い、登山道沿線に里程標等の表示はほぼ皆無である。登山した2012年10月時に目撃した表示板は僅かに三枚、大禹嶺登山口と鉄線橋上部露営地に林務局に依る極めて古そうな入山に関する同一の警告板と、急登核心部上部の赤地に黄文字の断崖注意の警告板のみであった。当時は入山証は必要だが、入園証は不要だった。
標高が3,000メートルを越えると別世界である。3,000メートル越えの稜線を吹き渡る風は独特の声を出す。ということは、4,000メートル越え、5,000メートル越え。。。各々異なる世界がありそうだ。登山口から頂上まで、殆ど隈なく張り巡らされた登山者の安全を確保する為のロープは「異常」な壮観だとつくづく思った。各登山者は非常な苦労をしながら頂上に立つと、よくぞ此処まで登ってこれたものだと自分自身に感心していると思う。でも、待てよ、もしこれらのロープが無ければ、膨大な時間と甚大な危険を冒しつつ同じコースを辿らなければならないが、そんな時間と体力がある?今回程、自分の手足で登ったという実感が乏しかったことはちょっと記憶に無い。登らされたとしか言いようが無い。ロープの総重量は如何ばかりか?誰が何時敷設してくれたのか?登山道の崩壊が起こる度に、登山道はコースを変えざるを得ず、その度に新しいロープが渡される。しかも、こんな人気の無いコースにである。(終り)
2020年12月05日
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