


【写真説明】佳興山荘での一夜は激しい雨音の中だった。南大武山頂上付近の岩場のことは聞いていたので、それらが全て雨に濡れ滑り易くなっている岩盤表面をイメージしながら、即座に下山を決めた。只、山荘からそのまま下山するのも勿体無い気がし、旧林道兼登山道を更に3`程辿った地点に登山口がある吐蛇流山迄足を延ばすことにした。これは前日、登山口から6`地点に登山口のあるはずの文丁山(標高877b)を逸してしまったこともその理由である。左写真は山荘を出発してから半時間程の場所からクワルス渓の対岸の集落、屏東県泰武郷泰武村(クワルス社)、旧集落は同写真の右方向にある。これら新旧二つの集落の間に、トクブン社(現在の集落の在処判らず)とカピアン(カピアガン)社(現在の同県同郷佳平村)が同写真下側に見て取れる、北大武山登山口へ向かう産業道路沿いにある。中央写真は吐蛇流山への道標、右写真はその山頂に埋定された陸測三等三角点、三角点の保護石まで完全に残っている。
「吐蛇流」は明らかにパイワン語の漢音訳であるが、日本時代、点名としてどうカタカナ表記されていたのか?は判らず、恐らく「トダル」ではないかと想像する。佳興山荘から吐蛇流山登山口まで約3`、1時間半程度、この間の落差が300b程度なので妥当な時間だと思う。又、登山口から頂上までは10分。先の投稿で、下山後、この間の中間地点に佳興村旧集落、プンティ社、現代台湾表記では布(普)楽帝(地)等が使われているが、林道脇に有ったはずなのだが、既に遅し、当時撮影した写真の時刻データを睨みながら、所謂ニアミスした地点であろうと推測した地点の写真を下に二枚掲載した。この地から今現在の集落に移遷したのは1941年(昭和16年)のことである。詰りこの今は廃棄された林道はプンティ社の人々にとっては、新旧集落の連絡道でもあったわけだ。佳興山荘から吐蛇流山を経て登山道が林道を離れるまでの約4`の区間は、まだまだ往時の林道の面影が濃い。(続く)

