2020年07月18日

北大武山−7

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【写真説明】左写真は旧登山口手前の旧駐車場後、新旧登山口を繋ぐ最後の部分で嘗ての産業道路をそのまま歩く。旧登山口広場にある林務局の看板(中央写真)は昔のママの様である。右写真は新に設置されたステーションで初めてお目に掛かった。ここに詰めるのは相当に体力が必要と同情しきり。

モーラコット台風以降に整備し直された部分を含む北大武山登山道のマイルストーンは以下の通りである。この内新たに開削されたのが@〜Bの部分であることを今回の山行で遅ればせながら確認した。詰り適当な車両で乗り入れられるハイカーは3.3`の登りから解放されていたが、今はハイカー全員等しくこの取り付きの苦労を共有しなければならないと云うことである。AとBの現況をパノラマ写真で紹介する:

@駐車場=新登山口=0
A休憩所-0=1.8`→1.8`(日湯真山登山分岐点-1)
B旧登山口=1.5`→3.3`(日湯真山登山分岐点-2)
C休憩所-1=1.75`→5.05`
D休憩所-2=0.75`→5.8`
E観景台=1.3`→7.1`
F檜谷山荘・山頂登山道分岐=0.2`→7.3`
G-1 檜谷山荘=0.2`→7.5`
G-2 山頂==5`→12.3`

このオリジナルの登山口通過の履歴は以下の通りである。ここは過去5回通過しているのでイメージが残っていたが、以前より明るく広く感じた。登山口に林務局の小屋が立ち、入山許可証と武漢肺炎蔓延予防の為の検温ステーションとなっていた。下山後行き合ったハイカーを観察していて判ったのだが、檜谷山荘までの日帰りハイカーも実に多い事だ。加えて、檜谷山荘まで足を延ばさずとも、新旧登山口の往復だけでも今や立派な登山になった。尚、これも弊ブログの何処かで書いたことがあるが、履歴中の「日湯真山」は日本語訓読みで「ひゆま」、パイワン族ピュマ社のことだ:

・2002年7月:北大武山
・2002年12月:日湯真山
・2003年06月:北大武山
・2004年02月:西大武山(森林三角点、1,894b)
・2007年11月:ピュマ社(平和社)
・2020年03月:北大武山(檜谷山荘)
(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 北大武山(第91座:3,092m) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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