2020年07月04日

北大武山−6

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【写真説明】左写真は2009年モーラコット台風(「八八水災」)後に出来た駐車場、即北大武山新登山口である。登山口は同写真左側、駐車場上部にある。同写真後方に写る稜線最低部が旧来の登山口であり、その後の稜線に登山道が開鑿されている。中央写真はその正真正銘の新登山口。右写真は嘗て本来の登山口まで延びていた産業道路の崩壊した様子。尚、本カテゴリーの再開を飾るべく、以下の本文冒頭に、昨年末iPhone 6で筆者のアパートから撮影したパノラマ写真を埋め込んでおいたので閲覧願いたい。同写真左奥端、井歩山(阿猴富士、2,066b)から始まり、霧頭山、北大武山、南大武山を経て、右端、恒春半島最高峰の里龍山(1,058b)までが写り込んでいる。傑作と言うより、偶々の絶妙のタイミングでベランダに出たからに過ぎない。

大武山山塊から南側に連なる山並み(2019年12月11日、6時5分撮影)、詰り台湾中央山脈最南端の山並みは、高雄市市街地越しに毎朝眺めている。天候と時刻に依り様々に変化する山脈のシルエットと彩雲との組み合わせは豪華としか言いようが無い。筆者のこのような眺望の文字に依る描写力は全く惨めだ。このブログの読者に誠に申し訳ない。過去、ブログ等にて、筆者自身の意志として、台湾の何処に住みたいか?聞かれたら、即座に北大武山の見える場所と答えると書いて来たが、今現在はそれが実現している。以上の様な環境下、何時でも週末の二日間にて登れると思って来たわけだ。北大武山には過去二回登頂しているので、それからもう17、18年の歳月が流れている!

2009年8月のモーラコット台風(このブログでも何回か言及した記憶あり)以降暫く入山が禁止され、登山道が大きく変わったことは知っていたが、それ以上のことは敢えて確かめず。旧来の登山口辺りから崩壊したのだろうと想像していた。旧来の登山口と云う意味は、四輪駆動なら辿り着けていたが、普通乗用車では勇気と技術が必要だったと云う意味である。さすがに急速な体力の衰えに焦り始め、今年3月になり、眺めるだけの天下の名峰に堕していた微温湯から脱する機会を得たのだが、結果は雷雨に祟られ、北大武山登山の定番宿泊所である檜谷山荘の往復だけに終わってしまった。

それでも収穫はあった。先ず、旧来の登山口以外はその前後(旧来登山口に到る産業道路とその後の登山道)の印象が全く脳裏に無い事を確認した事と、檜谷山荘を時間を掛けて観察出来たことである。前者に関し、唯一の例外は、登山道途中の森氏杜鵑(シャクナゲ)の回廊だけだった。これから数回に渡る投稿はそれらの事どもを紹介する。

実際登山道が崩壊しコースが大きく変わった部分とは、旧来の登山口からの登山道では無く、旧来の登山口に到る産業道路の部分である。最初に北大武山に登った際は、この産業道路がコンクリートから砂利道に替わる場所に駐車しそこから先ず登山口を目指した。登り一方4`強歩いたような記憶がある。普通乗用車を利用した為だ。モーラコット台風の後、この部分が崩壊した為、道路が残る部分の最高点に駐車場が作られており、保有する車の種類に拘らず、この駐車場から登山を開始する憂き目に逢ったわけで、ハイカー皆平等な労苦を背負うことになったと云う意味だ。

但し、この新登山口が、筆者が初回の登山時に駐車した場所より上なのか下なのか?は判然とせず。新登山口から本来の登山口、今は現地では「旧登山口」と称される場所迄は距離にして3`強、の歩行と言うより登山そのものに成り果ててしまった。この間の登山道は一部は以前の産業道路を利用しており、その断裂の様が八八水災として今も語り継がれる厄災の大きさを新めて実感させられる。(続く)
posted by 玉山 at 07:48| 台北 ☀| Comment(0) | 北大武山(第91座:3,092m) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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