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カテゴリー「奇莱主山南峰」でも書いたが、南華山周辺に関しては、弊ブログ『台湾古道』「能高越嶺古道」で書き尽くしてしまった。特に「能高越嶺古道−5」と「能高越嶺古道−6」では南華山の写真まで掲載した。従って、「南華山」カテゴリーの投稿記事は簡素にしたい。
ところで、南華山登頂は、天池山荘を起点の南廻り、北廻りのどちらのO線を辿っても4時間前後で一回り出来る利便さから、ネット上には山行記録が溢れているが、それらの中で「南華」の由来に触れたものにはなかなか出会えない。それでも気になる人は居るもので、『登山補給站』の中に「山名二三事−百岳山名由来部分補述」なる投稿があり、南華山も取り上げている。但し、附近に「尾上山」とか「深堀山」とか日本語に因む山名があるので、「南華山」も日本語由来かもしれない?とギブアップしている。南華は日本語としては異質で、大陸的である。いずれにしても、由来不明。
筆者にとっては能高山北峰の方が遥かに聞こえが良い。日本時代の「三高」(新高山=玉山、次高山=雪山、能高山)の内、現時点で能高山(主峰)は未踏であるだけに、「それでも能高山の一部には足跡を残したと云う子供染みた自負心を擽られるからだ」とこの投稿原稿を書いていたのだが、去る10月、筆者61歳の誕生日前に、とうとう能高山に登頂する機会に恵まれた。三高登頂完成である。
筆者が2004年11月に南華山を目指した時は、北廻りのO線を選んだ。即ち、奇莱主山南峰を目指した時と同じく、先ず天池迄登り、南峰方面への三叉路を南側に取り頂上に到り、その後は更に南下、南華山と能高山方面稜線の最低鞍部迄降り切り、山荘に戻って来るコースである。
南華山は天池迄登ってしまうと、頂上迄の落差200b弱の玉山竹箭の絨毯の緩やかな稜線を1時間弱辿るだけである。その間遮蔽物皆無の360度の眺望を堪能出来る。この豪華な眺望だけが南華山の「華(はな)」には非ず、二つの人文史を背景にした特異な風景が現出している。これらも既に弊台湾古道ブログ「能高越嶺古道」でかなりのスペースを割いて来たので詳細は繰り返さないが、南華山と能高山主峰方面を結ぶ稜線の最低鞍部を跨ぐ能高越嶺古道と1953年竣工の中央山脈東西(東花蓮県、西南投県)を跨ぐ高圧送電線「電力の万里の長城」」である。今回のダイヤグラムはこの二つの人文景観(但し、送電線は蒋介石の筆に為る「光被八表/利溥民生」碑で代替)と天池山荘を入れ込んだ。(終り)
2019年12月21日
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