2019年01月19日
郡大山−9
【写真説明】郡大山登山口までは32`強、初回は自身で運転し入山したのだが、今回村長候補に運転して貰いながら、当時は無謀な事をしたものだと我ながら感心すること頻り。「郡大別館」として重宝されていた工寮は十余年前はまだ小屋として機能していたが、今は身包み剥がされた無残な呈を晒していた(左写真)。登山口(中央写真)は玉山箭竹を潜り抜けるようなイメージを持っていたが、全く異なっていた。第一のマイルストーンである望郷山三角点迄は近かった。登山口を過ぎ林道を暫く辿った松林で、帝雉の番(つがい)に出会った(右写真)。イギリスの鳥類学者、ウォルター・グッドフェローに依り、1906年(明治39年)に発見、学名が、Syrmaticus mikado(Symaticusはヤマドリ属)、日本(英語も)では従って「ミカドキジ」、台湾高山固有種、現千ドル札の図柄にもなっている。国際自然保護連合(IUCN)のレッドリストではNT (Near Thretoned)扱いなので、良く見掛けるが、番で見たのは記憶に無い。筆者が真面な撮影が出来たのは初めて、動きは緩慢だから。ミカドキジは美しい―キジの帝王に相応しいので、この古い日本語が学名に入ったのだと筆者は合点したのだが。。。待てよ?ウィリアム・ギルバート脚本、アーサー・サリヴァン作曲によるオペレッタ『ミカド』がロンドンで初演されたのは1885年(明治18年)、その後イギリスで爆発的な日本趣味、所謂「ジャポニズム」が勃興、ミカドは日本の代名詞となる。つまり、ミカドキジのミカドは当時日本の統治下にあった台湾への逆輸入ではないだろうか?
この記事へのコメント
ミカドキジに出会った事で、色々な事を想起できる、面白いですね。
Posted by Meiwenty at 2019年02月02日 21:26
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