2019年01月05日
郡大山−8
【写真説明】2019年新年の挨拶は、筆者別ブログ『台湾古道』のそれで替えたいので参考にして頂きたい。要はよぼよぼ歩きに転じては、台湾百岳登攀は諦めざるを得ないと云うことである。「郡大山−1」掲載中央写真で紹介した林務局望郷工作站(正式には「林務局、南投林区管理処、水里工作站、望郷分站」)内の巨木袂に小さく写る日本式祠は何者か?前回何故この1枚しか撮影していないのか?思い出せないのだが、今回全容が判るように撮影してきた。この祠の歴史情報は、台湾サイト内でも乏しい。情報ソースは不明だが、建立年は1923年(大正12年)、「望郷祠」、或いは「望郷遥拝所」が呼称か?「望郷」の意味は日本語そのもので、日本時代から使われていたことは既に本ブログで書いた。台湾サイト内に「台湾株式会社桜井組」が1933年(昭和8年)、望郷山紅檜(ベニヒ)伐採事業開始との下りあり。時間が合わぬが、信頼の置けるソースを探し当てたら新ためて紹介することにする。左写真に写る巨木(樹齢1,200年)は従ってベニヒである。(続く)
その後、「台湾に渡った日本の神々」台湾神社の研究家、金子展也氏に問い合わせたら、「望郷神社」の呼称で以下のコメントを頂いた:
僅かに見える社殿の柵から内部を覗き込み、墨で書かれている「昭和十八年十一月八日 設計者 上棟式 作 謝先安 呂雲南」の文字を発見する。昭和十年(一九三五)に材木商である櫻井組は総督府営林所所より新高山に近い望郷山のヒノキ材の払下げを受ける。山上に製材所を設け、同年二月より伐出しを開始し、島内及び内地に出荷した。望郷山は海抜三二四一bにあり、これより毎年約七〇〇〇㎥のヒノキの切出しを行う予定であった。
ご無沙汰しております。最近投稿されました「台湾紀行 台湾測量基準点」ですが、当台湾協会会報への転記が可能であるか知りたいのです。担当のものから連絡を取りたいと思いますので、連絡先を教えていただけませんか。
こちらこそご無沙汰しております。今年も宜しくお願い申し上げます。
ご依頼の件、「台湾の声」編集部多田様宛にお尋ね下さい。メルマガに返信する形で良いと思います。ご不明な点があれば私宛に何なりとお申し付け下さい。宜しくお願い申し上げます。(了)