2015年02月14日
合歓山−1
【写真説明】初めて合歓山に登頂(と言えるか?)したのは2002年6月、今回掲載した写真はその時撮影した登山口と頂上の様子だ。上掲左写真は、省道14号甲線沿線にある合歓山への登山口。表示板にあるようい往復1時間はちときつい。上掲中央写真は合歓山頂上の気象計測施設。同右写真は当時頂上付近は観光の為に新規の意匠を新設中、つまり登山道とは名ばかりで実は工事道路も兼務していた。下掲左写真は頂上、当時はこの立ち入り禁止エリア内にある三等三角点を確認出来ず、代わりに同エリアでバカチョンで撮れる場所にあった有志の自家製頂上指導標、記載の標高3,416メートルは57年版、現在は+1メートルが正規標高である。
合歓山に初めて登頂したのは2002年6月である。これも並ブログで過去繰り返してきたが、台湾百岳の中で、石門山に継ぎ簡便に登れる百岳だ。どちらも日本の北岳(標高3,192メートル)より高い堂々たる三千メートル峰だが、登山経験は必要無し。正規登山口からの登頂時間は、石門山で約20分、合歓山で約50分、わざわざ「正規」という表現をしたのは「間道」があるという意味で、これらを利用すれば更に短縮される。但し、一つ条件がある。高山病に冒されていないこと。誰でも標高が2,200〜2,400メートルを越えると身体の調子が狂う。
初めて有数な台湾中央山脈を東西に横断する有数な山岳自動車道の一本、中横(中部横貫公路)に乗り入れたのは、太平洋側、即ち東海岸の花蓮から、目的はタロコ国家公園探訪であった。2002年2月のことである。この時は、時間の許す限り中横の高度を稼ごうということで、行き着いた場所が、北合歓山東側山麓の大禹嶺(合歓埡口)と呼ばれる大鞍部、合歓山までもう一息だったのが、仰ぎ見るその先の山々の高さと遥かさに吐き気に似たような気分に襲われたことを覚えている。まあ、何時か又来る日があるさ―とタロコ方面へ引き返した。この日は快晴だった。
初めて今度は台湾海峡側から、つまり霧社経由で中横を台湾自動車道最高点佐久間峠(現武嶺)を目指したのは、それから約四か月後、2002年6月、霧と雲の中であった。清境農場のキャベツ畑が非常に印象的だった。この時は、前回掲載の俯瞰図中、中横が武嶺手前で折れ曲がる付近でそのままストレートに合歓山頂上まで至る道路が見えているが、この分岐点が正規登山口であり、又、頂上に至る道路が登山道だ。初回はこの正規登山口から登頂、相変わらずの霧の中、確かに一時間弱の行程だったが、非常に長く感じられたのは、簡便に登頂出来る百岳というイメージがこびり付いていたから?因みに、この時は、武嶺が嘗て佐久間峠と呼ばれていたと云う知見は無い。(続く)
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバック