2015年01月24日

俯瞰図:合歓山

[←俯瞰図はココをクリック]

合歓山、並びに合歓山連峰に関しては、既に別ブログ『台湾古道』の「合歓山越嶺古道」で、その魅力に関し言い尽くしてしまった。それらブログ記事・写真の集大成が『台湾古道』ブログ左メニュー「日経ギャラリー」最終回第4回目の記事である。それで、今後暫く投稿されるこの台湾百岳ブログ記事中では、台湾百岳登山の入門コースたる合歓山と合歓山連峰の紹介は写真中心と為らざるを得ない。というか、たった今書いてるこの時々も、色々な合歓山連峰の視覚的なイメージが想起し収拾が付かない有様、今更何を書けばいんだという投げやりな気分に囚われる。

今回掲載した俯瞰図は、「日経ギャラリー」第4回目記事の最初の見開きページにある北合歓山(合歓山北峰)から真南を俯瞰した写真と南北対象にすることにした。通常は紹介する各山塊を対象にした俯瞰図を作成・掲載して来たが、今回はこのイメージ以外のアイディアが出て来なかった。

今回掲載のダイヤグラムは、従って、合歓山を中心に合歓山連峰を真南から俯瞰した図である。ダイヤグラムの下端は、日本時代開削の「合歓越道路」をほぼ忠実に踏襲した霧社を起点とする省道14号甲線、通称「中横」(中部横貫公路)霧社支線が、蛇行を繰り返しながら標高三千メートルを越えようとして、タロコ国家公園の境界碑を正に越えたその先に広々とした駐車場を従えた冬季救護センター(要は臨時派出所)上空である。嘗ての合歓山駐在所跡地である。ここからの、と言うより、国家公園の境界碑を過ぎた瞬間、眼前に飛び込んで来る合歓山東峰南面の圧倒的なスケールは余りに唐突で、衝撃的だ。。。「台湾古道」ブログ中では恐らく複数回同じことを喋っている。

同ダイヤグラム中央の、今現在武嶺と言われる台湾自動車道最高点が嘗ての第五代台湾総督佐久間左馬太のタロコ征伐に因む佐久間峠で、主峰たる合歓山と東峰の鞍部であり、ここを越えて降り切った場所に、合歓山荘があり、日本時代の石門駐在所跡地である。今回掲載のダイヤグラムも「日経ギャラリー」第4回記事の見開き写真も、主役は合歓山(主峰)と合歓山東峰、それら稜線の鞍部たる台湾自動車道最高点たる武嶺、旧佐久間峠を乗り越す旧合歓越道路、現在の省道14号線甲線、通称中横霧社支線なのである。

三千メートルの稜線には独特の風の声がある。この声が聞こえだすと私の皮膚は泡立つ。それは登山の話をしているのだが、読者は登山の経験が無くとも、この省道14号線甲線をお好みのスピードで走り他のドライバーの邪魔にならない場所に車を止めて耳を傾けるだけでいいのだ。

登山に興味のある弊ブログ読書の為に申し添えておくと、ダイヤグラム上の合歓山四峰は丸二日あれば完登出来る。西合歓山(合歓山西峰)のみが日本第二の高峰南アルプス北岳より低いだけだ。(終わり)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 百岳俯瞰図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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