2014年10月11日
秀姑巒山−1
【写真説明】(左写真)中央金礦山屋はこの山の頂上の丁度真南山腹に位置するが、八通関から古道をバナイコ避難小屋、中央金礦山屋へ歩を進めると良く見えて来る。バナイコ山(3,327メートル、巴奈伊克の漢字を充てる)であるが、当時秀姑巒山を目指した時は、この山を秀姑巒山と見做しその尖峰までの距離を縮めるのに腐心した。玉山山脈に属するが、中央山脈の秀姑巒山とは確かに峰続きである。中央写真は、中央金礦山屋〜白洋金礦山屋間の灌木帯を抜け、台湾最高点玉山連峰全稜線を正に背負うように登攀する地点下。右写真は、白洋金礦山屋下からの玉山連峰全稜線、同写真左から、南峰、主峰+東峰、北峰、北々峰。。。
秀姑巒山に付いて書くことは余り無くなってしまった。一つには、秀姑巒山と前回記事にした大水窟山とは同一稜線上に位置し、大水窟山の記事の中でも秀姑巒山については随分言及して来たからだ。もう一つの理由は、秀姑巒山山頂を目指した日の写真が何故か少ない。ブログ記事のネタが不足しているのだ。
この中央山脈最高峰に登ったのは2006年2月初めなので、彼此九年弱前である。そして、その山稜の続きである大水窟山まで辿り着いたのが今年2014年2月である。当時、秀姑巒山山頂を踏んだ時は、中央山脈最高峰という知見はあったので、感慨深い思いに浸ってはいたのだ。
実は、この時目論んでいたのは、マボラス山まで辿ることだったが、その発案者は、我々が登頂した当日にその起点である中央金礦山屋から東埔温泉に引き返してしまった。観高から秀姑巒山とマボラス山両座を仰ぎ見ると、この間の稜線を跨ぐことは難無きことのように思えてしまうが、実際秀姑巒山山頂に立った時は、時間的にも体力的にも無謀な所作であったことが思い知らされた。
冒頭で述べたように、今、当時撮影した写真を見たら枚数が非常に少ない。その理由は思い出せない。手元の中華民国山岳協会に依る路線図だと中央金礦山屋→秀姑巒山山頂間は5時間半の行程、早朝何時に出発したか?さすがに覚えていない。
明確に覚えているのは、秀姑巒山山頂から、中央山脈稜線上、秀姑巒山方面と大水窟山方面の分岐点、秀姑坪まで戻って来たのが午後四時半、何故この時間を覚えているかというと、このまま中央金礦山屋まで往路と同じルートを辿るか?大水窟山経由で同小屋まで戻るか?(筆者は、大水窟山は指呼の間、そこから中央金礦山屋までもまあまあだと、思い込んでいた―思い込んでいた)、結局無難な前者を選んだのだが、それでも小屋に戻り着くまでたっぷり三時間は掛かったはずで、漆黒の中だったはずだ。後者を選んだらどんな目に遭っていたか―実際、中央金礦山屋から大水窟山まで辿った時、その無謀さに唖然とする始末だった。(続く)
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