▲[←俯瞰図はココをクリック]
秀姑巒山に関しては幾つか百科事典的な叙述に換えようかと思う。
まず、地理学的には、台湾中央山脈の最高峰で富士山より高い。日本時代は暫く、現在の玉山山脈も中央山脈の一部と考えられていたが、後、分岐された。この辺りの経緯は何処かで詳しい解説を閲覧したことがあるのだが、今は在り処が判らない。いずれにしても、現場を歩いても、何処で分岐しているのかは俄かには判じ難い。その判じ難さは今回掲載した俯瞰図でも判るが、秀姑巒山とマボラス山は中央山脈に属するが、八通関山は玉山山脈に属する。便宜的には、北は陳有蘭渓、南は荖濃渓で両山脈は東西に分岐される。これまで紹介して来た台湾百岳の中では、八通関大山以外には、西巒山と郡大山が玉山山脈に属する。
今現在は、「秀姑巒」は山名の他は花蓮県豊浜郷港口村から太平洋に注ぐ河川名として残る。この同村の旧名も秀姑巒だった。
「秀姑巒」(しゅう・こ・らん)という三漢字の組み合わせは、何か幻想的な意味合いを想像させる。実際は、原住民語の漢字音訳が変遷して来たものであることは、中文版ウィキペディア「秀姑巒渓」にかなり詳しい解説がある。同じ解説は日本版には無く、又、台湾のサイトでもなかなか行き当らない。安倍明義の『台湾地名研究』にも出て来ない。
そのウィキペディアの解説だと、秀姑巒渓の河口にある「小島」(日本時代の弁天島、今の獅球嶼か?)をアミ族は河口を意味する「芝波蘭」(漢音訳)と呼んでいたが、その後この漢音表記は変遷し、日本時代は「秀姑巒」となり、そのまま使い継がれて来たとある。秀姑巒渓河口は、秀姑漱石と呼ばれる河岸の石灰石群で有名だが、秀姑巒渓自体は今やラフティングのメッカだ。
日本版ウィキペディアを眺めていたら、以下の下りに行き当たったので、そのまま引用する。
「秀姑巒渓は中央山脈から、一旦は平坦な花東縦谷に流れ下り、その末に海岸山脈を貫いて海に至る。この特徴的な流路は、かつては海岸山脈に源を発する小河川だった秀姑巒渓が、浸食の末に海岸山脈を突き抜け、10万年前に花蓮渓の上流部を河川争奪することで形成された。」
川の流れのように♪という叙情的な川のイメージもあろうが、川同志が争奪戦を演じているとイメージを今まで抱いたことがないので、新鮮だった。秀姑巒渓は台湾海岸山脈を横断する唯一の河川―知らなかったなあ、と云うより、海岸山脈自体に余りにも縁が無さ過ぎるという残念さがある。
さて、肝心の山の方に戻ろう。これは恐らく台湾山岳人の間では知られたことだろうが、元々「秀姑巒」という名の山は存在せず、ブヌン語で「マボラス」と呼ばれていたが、陸地測量部(?)が地形図出版の際「誤植」して「秀姑巒」と印刷してしまった。。。と云うような説明がある。では、今現在のマボラス山は元々何と呼ばれていたか?「ウラボン」である。
今回掲載の俯瞰図は、余りにも平凡に思われたが、方向感覚の喪失に長年悩まされていた、観高と対中央山脈最高峰群、そして八通関大山の位置関係を明確にする為に描画したのだが、実は、観高坪のヘリポートから東側を俯瞰した図に過ぎない。「八通関古道西段-16:観高駐在所」掲載記事最下段に附した写真の焼き直しに過ぎない。(終り)
2014年09月20日
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