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私にとっての「大水窟」とは、日本時代開鑿の八通関越嶺警備道の最高点にして、東西段の分岐点である旧大水窟駐在所である。西段に比べて遥かに長蛇な東段はそう易々と踏破は出来ないので、まずは、西段をその東端である大水窟まで辿るというのが、私の中期的な希望であった。
それが、今年2014年の旧正月に叶った。東埔温泉からの入山が許可されたというのが判ってからも、私の今回の山行の主たる目的は、あくまで大水窟駐在所跡までを辿ることであり、それはかなり容易なことだと考えていた。駐在所跡、ネット内を見事なカラー写真で彩る大草原の中の大水窟池とその湖畔に控える山屋、そして大水窟山山頂の位置関係を予め調べることもしなかった。これら三つは簡便なパックだと思い込んで、実際の山行に臨み、まずその前段、つまり大水窟山そのものに取り付く前に大いに困惑し、大水窟山登山そのものに関しては誠に惨めで辛い思いをした。新ためて、筆者の希望通りにそう易々と登らせてくれる台湾百岳は無いということを、今回も痛感せざるを得なかった。
筆者の別ブログ『台湾古道』シリーズでも、同山行を八通関古道西段踏査記録として記事をアップする予定にしている。従って『台湾百岳』ブログでは、大水窟山登頂を中心とした記事で構成する予定だ。
今回作成したダイヤグラムは、観高駐在所跡以降の八通関警備道西段とその駐在所跡の関係を、中央山脈主要山岳位置と組み合わせたものだ。これは『台湾古道』読者の便宜を図るのも目的だ。
ところで、大水窟(だい・すい・くつ)とはどういう意味だろうか?
小学館『デジタル大辞泉』に依ると、「窟」とは;@ほらあな。いわや。「岩窟・石窟・仙窟・洞窟」;A人の集まったすみか。かくれが。「巣窟・魔窟・貧民窟」;B 集まるところ。「理窟」;とある。であれば。一番自然な翻意はBで、字面そのまま、大いに水の集まるところ、ということになり、呆気なく謎が解けたことになるが、実際はそんな単純なものではないかもしれない。追々調べることにする。(終り)
2014年04月05日
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