2013年12月21日

郡大山−2

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【写真説明】左写真は郡大林道脇、郡大山登山口付近にある元々は林務局の工寮、実際は郡大山への登山の便に供されている。最近の山行記録をネット上で漁っていたら、「郡大別館」と冠された地図があった。思わず大笑いした。粋な人がいるなあという笑いである。右写真は望郷山頂上、標石が露出した台湾総督府殖産局埋設の森林三角点。日本時代、この標石が埋設された時、既にこの山の名前は望郷山だった。同写真内に意味不明の点、二つ、ブトかな?

郡大山は、少なくとも登山口を起点にすれば日帰りが可能な百岳に数えられる。工寮から郡大山までの登山道距離と標高は以下の通り単純明快、休みを考慮しないと、往復約五時間の登山という知識を仕込んで出掛けた;

(地点)−(標高)、(距離)、(距離:累計)
工寮−2,860M、0、0
望郷山−3,007M、1K、1K
郡大山北峰−3,241M、2.3K、3.3K
郡大山−3,292M、2K、5.3K

大晦日、まだ陽のある内に工寮に到着、元旦の日の出に間に合わせるべく、少なくとも明け方三時には出発したのではないか?と思う。望郷山頂上に辿り着けば後は稜線伝いに郡大山まで辿れるというのは理解していたので、随分軽い気持ちで望郷山に取り付く。灌木の中の登山道だったはずで、頂稜線に出た後の猛烈な風に悩まされた記憶は無い。尤もその時点では、稜線にはそんな風が吹いていようとは想像だにしていなかったのだが。

望郷山頂上が随分気持ちの良い場所だと判ったのは下山時、真っ暗闇の中でも測候設備は確認出来た。

さて、「望郷」の由来である。私は最初は「希望ヶ丘」とか「恋人岬」の類かと思っていたぐらいだ。種を明かせば、実は、既に日本時代からこの山は望郷山だったのだ。

望郷山の西側斜面を下り切ると陳有蘭渓がありその対岸に、信義郷に属する望郷部落がある。行政院原住民族委員会『台湾原住民族資訊資源網』中の望郷部落の解説は以下の通りである;

(引用・翻訳始め)望郷部落【(ブヌン語部落名)Kali-buan(カリブアン)】ブヌン語の「bikiu」は「頭を翻すと故郷が見える」の義。

望郷とは、日本時代に日本人警察官(筆者註=とその眷属が)故郷を懐かしんだ事に由る。「bukiu」
(筆者註:「ボウキョウ」の音か?冒頭の「bikiu」とは若干異なる。単なるタイポ?)とは「頭を翻すと故郷が見える」という意味であるが、ブヌン族にとりこの故郷とは、ブヌン族部落の多彩な人文と自然生態を育んで来た玉山(筆者註:玉山連峰)のことである。ブヌン族はこの部落を「kalibuan」(カリブアン)と称しているが、これは彼らが日本時代にこの地に移遷させられた時に丈の高い「kalibu」という名の植物に覆い尽くされていたからだ。「kalibu」はその後長い間消失していたが、今は部落に依り積極的に栽培事業が行われ、部落の生命力を取り戻そうとしている。(引用・翻訳終り)

以上のように、ブヌン族、日本人双方の望郷が所以のようである。(続く)
posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 郡大山(第52座:3,292m) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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