2013年11月09日

俯瞰図:郡大山

[←俯瞰図はココをクリック]

これまで登った百岳にもう二度と登る機会が無い(今の筆者自身の年齢を鑑みると必ずやそうなるのではあるが)としたら、どの一座を最も懐かしいと思うか?と問われれば、郡大山を挙げる。

ところで、これまで筆者の百岳、古道両ブログで、郡大山を撮影したもの、或いは郡大山から撮影したものは少なからずそれら写真を以下の記事中で掲載・紹介して来た:

『台湾百岳』について
西巒大山−2
『台湾百岳』について−9:『富士山』
新高山−2
八通関古道−3
玉山古道−2
玉山古道−8
玉山古道−9

厳格な郡大林道入山検査と廃棄された林道上部の酷い路面、真っ暗闇の中、三千メートル稜線を轟轟と鳴り吹き渡る大風を受け流し、雪をたわわに擁した枝を不気味にそして豪快に揺する針葉樹群。私の郡大山の印象はこれら二つに尽きる。時は元旦、その夜の望郷山から郡大山山頂までの文字通り三千メートル級の稜線上での寒くて冷たい半ば惨めな体験は、そこが台湾であるという現実が実に不思議に感じられる時間と空間だった。具体的なイメージは今後の記事で追々紹介して行く予定だ。

今回のダイアグラムは、本ブログの記念す可き第一回目の記事「台湾百岳について」冒頭部の以下の一文のビジュアル化を試みた:

「郡大山は玉山の東側に位置し、陳有蘭渓、即ち八通関古道を間に挟み玉山に向き合う。登山口から頂上までの往復のみを考慮すれば日帰り可能な百岳の一座であるが、登山口に到る林道は厳しい管制が敷かれ入山証無しでは入れない。しかも登山口手前の数キロの林道の崩壊は激しい。」

即ち、陳有蘭渓上から、南側、即ち同渓谷源頭方面を俯瞰した図だ。但し、残念ながら郡大林道の崩壊振りは描き様が無いのだが。陳有蘭渓源頭はダイヤグラム最奥に位置する八通関であり、同渓谷を境に左岸に玉山(新高山)連峰が落ち込み、右岸に、望郷山・郡大山北峰・郡大山と続く三千メートル稜線を擁する山塊が聳える。

今回のダイヤグラムに盛り込んだものはそれだけでは無い。これまで複数回このブログでもコメントしたことがあるが、今は「新高山」の山名は台湾の現代地図からは消滅してしまったが、その名残りが地名、山名として残っている。そんな例を具体的な位置と標高を入れ込んで紹介してあることだ。即ち、開高山と対高山である。

加えて、郡大林道がダイヤグラム上に自動的に表示されるように角度を調整した。「郡大」は山と渓谷の名として残るが、郡大渓沿線は今でも台湾の秘境、曾てはこの渓谷沿いに点在するブヌン族部落を結ぶ警備道が拓かれていた。鹿野忠雄の『山と雲と蕃人と』で頻繁に紹介される中之線警備道がそれであり、現代では、丹大林道、人倫林道、そして郡大林道がその警備道の一部を形成していたはずだ。中之線警備道の最南端は、郡大林道と重なり現在の観高登山サービス・センターに出会い、八通関警備道へと繋がっていた。(終り)

posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 百岳俯瞰図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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