2013年10月19日
八通関大山−4
【写真説明】中央金鐄山屋を出発、中央山脈最高峰の秀姑巒山(百岳6号、標高3,825メートル)に登る為には、まず、秀姑坪(3,530メートル)と呼ばれる、秀姑巒山と大水屈山(14号、百岳3,630メートル)との鞍部を目指す。その秀姑坪に至る斜面の登りは玉山連峰の大眺望を背負いながらの急登となりやがて白洋金鐄山屋に至る。右写真はその山小屋に至る手前で撮影した。同写真右側手前から延びる稜線上の大きな塊が八通関大山である。その奥には、右から北々峰、北峰、主峰、東峰(主峰手前の鉤状の塊)、南峰と豪快な吊尾根が鎮座する。右写真はバナイコ山屋(台湾現代表記は「巴奈伊克」等、日本時代のバナイコ駐在所)を過ぎて八通関に向かう途中、右手に競り出して来た八通関大山。
「八通関大山−1」掲載写真で八通関大山の雄姿を誤魔化し、その後の記事は更にこの百岳の姿を暈してしまったので、このカテゴリーを閉じるに当たり、今一度これまで撮影した写真を見直し、選び出したのが今回掲載した二枚である。
但し、二枚とも、その肝心の八通関大山を意識して撮影したとは言い難い。
「八通関大山−1」でこう書いた:
[引用始め]しかも、長いこと、八通関古道は、八通関から東側、つまり、観高駐在所跡を出発、八通関に至るには古道はまず東側、つまり進行方向右側にカーブを取りつつ進む。八通関に至りその後の古道も右へ右へと辿るイメージから抜け切らず。やがて、八通関大山登山口が古道上に出現する。
さて、その後、同じ古道を更に右へ右へと辿り、中央山脈最高峰秀姑巒山に登頂する機会あり。その際、あれれ?と思ったのは、古道を本当に右へ右へ、つまり東側に辿ってしまうと玉山群峰に至るはずなのに、何時の間にか、玉山群峰を常に向かい側に見ながら、つまり全く逆側の斜面を登山をしていることに気付いた。八通関、八通関古道、八通関大山、玉山、秀姑巒山の位置関係が呑み込めたのは、秀姑巒山下山後随分後になってからである。[引用終り]
つまり引用中の「あれれ?」状態の中での撮影していた為、秀姑坪へ至る急斜面を喘ぎ喘ぎ登りつつ撮影しながら、大きくうねる玉山連峰稜線を八通関大山の稜線と勘違いしていたことに気付くのに随分時間が掛かったことを覚えている。
他方、右写真は明確に八通関大山と意識して撮影したかどうかは大いに疑問だ。メモ帳代わりに撮影したかもしれないぐらいに、撮影時の意図を思い出せないでいる。(終り)
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