


【写真説明】前回紹介の写真が自然景観だったので、今回は人文景観関連の写真を掲載することにした。東段出入口東埔(トンポ)から八通関間の日本時代駐在所跡リレーである。八通関駐在所以外は筆者の台湾古道・台湾百岳ブログを通じ初出である。上掲左写真は八通関古道東段出入口の東埔温泉郷の中で撮影、日本時代の同地のトンポ駐在所跡を物色している際に見付けた日本時代から続く家屋で、日本時代に撮影された写真と引き比べてみると警察官宿舎ではなかったろうかと勝手に想像している。現在の警察署も近くに在る。「玉山古道(新高山歩道)−4」で紹介した門柱もこの家屋から然程遠からぬ所と記憶している。中央写真は、ラクラク(楽々)駐在所跡、今は写真にあるように避難小屋があり、更にここから陳有蘭渓谷に下ると温泉があることになっているが、筆者は降りたことは無し。右写真は、対高駐在所跡、往時を偲ばせるのは、地均しした場所に残るコンクリートのみ。
下掲載左写真は、観高登山サービス・センターのプレート。このセンターは、古道よりもかなり低い場所にあり、東埔温泉を背に古道を辿って来て左側に大きく下り、廃棄された郡大林道と出遭う場所にある。元々は林務局観高護管所、林道廃棄と共に機能停止、積極的に登山者の便宜を図る為の場所に変遷したわけだが、日本時代の駐在所を襲ったわけではない。日本時代の駐在所は古道とこのサービス・センターの分岐点にかなりの規模の平坦地があるがそこである。「八通関大山−1」の中央写真はその広場から八通関大山を望んだものだ。その駐在所跡の写真はかなりの枚数を撮ったという記憶が頭にこびり付いているのだが、実際は一枚も残っていない。それで、「観高」の文字を読者に紹介する目的のみでプレートの写真を掲載した。尚、「対高」、「観高」の地名に関する解説は、当ブログ「西巒大山−2」を参照して欲しい。最後に、下掲右写真は、八通関入口の案内板から八通関駐在所跡(同写真一番奥)を望む。(続く)

