2013年08月17日
八通関大山−1
【写真説明】左写真は「台湾古道」ブログの「八通関古道−1」に掲載した写真と同じ位置から撮影、撮影日と時間が異なる。最奥の三角峰が、八通関大山(左)と八通関山西峰である。同写真右側の山塊は玉山群峰、中でも一番高く見えるのは北峰(3,858メートル)、主峰はその奥に僅かに覗いている。中央写真は、撮影当時はこれが八通関大山だという自信は無かったので記録として残しておいた。観高駐在所跡から南側を仰いだ。左写真と同じ、八通関大山(左)と八通関山西峰。同写真右下に八通関に至る古道入口が写る。八通関古道上にある八通関大山登山口は、同写真右に写る八通関山西峰の裏側辺りになる。右写真は八通関大山頂上の日本時代埋設の森林三角点。現在は同頂上は基点無し。
前回の記事で述べた通り、頂上までは辿ったが当時土砂降り、周りの地形の印象が殆ど無いので、今でも八通関大山が写った写真を探すのは難しい。
南投県信義を省道21号線沿いに陳有渓沿を南下、同富村に至り、そこから陳有渓に掛けられている和社橋を渡り東埔温泉に至るがその橋の袂に立つと、陳有蘭渓が右側、玉山北峰へ至る稜線と、左側、中央山脈郡大山稜線を分かち、その最奥に二つの三角峰が覗く。向かって右側が八通関山西峰(3,245メートル)、左側が八通関大山である。「台湾古道」ブログの「八通関古道−1」の記事、掲載写真も同時に参考にして欲しい。
この陳有渓越しの二つの三角峰、これが実は私の八通関大山の山容イメージのすべてである。土砂降りの登山中、雨が止み、雲が晴れた際に稜線が現れたが、多分西峰と主峰を繋ぐ稜線ではないかと考えていたが、すぐに雲に隠され、またまた雲中の人となった。従って、頂上直下の地形を確認出来ていないので、遠くから眺めれば確かに三角峰だと言うしかない。
しかも、長いこと、八通関古道は、八通関から東側、つまり、観高駐在所跡を出発、八通関に至るには古道はまず東側、つまり進行方向右側にカーブを取りつつ進む。八通関に至りその後の古道も右へ右へと辿るイメージから抜け切らず。やがて、八通関大山登山口が古道上に出現する。
さて、その後、同じ古道を更に右へ右へと辿り、中央山脈最高峰秀姑巒山(3,806メートル)に登頂する機会あり。その際、あれれ?と思ったのは、古道を本当に右へ右へ、つまり東側に辿ってしまうと玉山群峰に至るはずなのに、何時の間にか、玉山群峰を常に向かい側に見ながら、つまり全く逆側の斜面を登山をしていることに気付いた。八通関、八通関古道、八通関大山、玉山、秀姑巒山の位置関係が呑み込めたのは、秀姑巒山下山後随分後になってからである。
絡繰りは、八通関古道は実は八通関で既に西側、つまり左側に大きくカーブを取り、八通関大山の南側を巻きながら中央山脈に抜けて行くのである。この大きくカーブする部分を見逃しており、只々右側に進み続けるという印象を消せなかったという他愛の無い話だ。(続く)
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