▲[←俯瞰図はココをクリック]
今回の俯瞰図は筆者未踏の北北峰(標高3,833m)まで辿り着いたらどんな俯瞰になるのか?将来何時かはその頂を踏むという誓いと期待を込めて、新高山を中心に東西南北全山が視野に入るように描いた。
さて、玉山主峰、即ち新高山(にいたかやま)については、本ブログでも、筆者の別ブログ「台湾古道」でも書き尽くしてきた感がある。しかも前回はとうとう富士山まで登場願った。そこで、これから数回は2008年1月5日にメルマガ『台湾の声』に掲載された「玉山古道−余話」の全文を掲載することにした。
「玉山古道」とは日本時代から戦後も暫く使われていた新高山登山道のことで、現代の登山道とのコースの違いはこれまで本ブログ中で処々言及して来た。この「余話」とはこれも過去数度引用してきた、黒川直氏作成、昭和8年に社団法人台湾山岳会から発行された五万分の一「新高登山地図」に纏わるエピソードだ。尚、この新高登山地図のコピーは、以前は台湾の複数個所のサイトから自由にダウンロード出来たのだが、最近それらのサイトを確認したらサイト自体は存在するもののどうもダウンロード出来ない模様だ。閲覧を希望する方は、本ブログ主宰者に遠慮なくご連絡頂きたい。
[玉山古道−余話:第一回目転載開始]
前回(註1)の記事を書くに当り、昭和8年(1933年)、台湾山岳会発行の五万の一の「新高登山地図」を参考にした。台湾の幾つかのサイトから自由にダウンロード出来る(註2)。その地図の左下に「D. by N. Kurokawa」の記載があるのを見付け、すぐに船橋市在住のK氏に連絡した。K氏とは「台湾原住民族との交流会」(註3)を通じ知り合った。もう七十歳を越えておられるが、昨年日本から一人で台湾の然る山岳会の募るツアーに参加され、玉山登頂を果たされた。以下は私のK氏に対する問合せのメールである。
「さて、そろそろ次の古道の記事を書こうと色々考えていて、玉山古道を次の題にする積りです。読者に玉山登山を薦める積りはなく、玉山をどこから眺めると一番良いか?といったようなことを主眼に書こうと考えています。今月中に上梓する予定でいますが、台湾のサイトを見ておりましたら、以下の地図を自由にダウンロード出来る事が判りました。早速ダウンロードして仔細に眺めておりましたら、地図の一番下に、「D. by N. Kurokawa」の記載がありました。これは黒川様のご尊父のことでしょうか?この地図は、そのコピーを黒川さんが祝山を訪ねた時に持参したものと同じでしょうか?違うのであれば、私がダウンロードしたものをメールでお送りします。いずれにいたしましても、便利な世の中になったものだとつくづく感じ入りました。現在の登山道との違いが明確に判りますので、全く私にとっては素晴らしい地図です。
今後冬に向かいますので、お身体の方にはくれぐれもご留意くださるようお願い申し上げます。」(2007年12月2日)
[玉山古道−余話:続く・・・]
(註1)メルマガ『台湾の声』に投稿、2008年1月2日に掲載された「玉山古道(新高山歩道)」のこと。同全文はブログ「台湾古道」の「玉山古道」シリーズでも閲覧出来る。
(註2)例えば、玉山国家公園公式サイト中の「玉山国家公園電子文化与自然資源地図」から以前は自由にダウンロード出来たのだが、今はこのページそのものは存在してもダウンロード出来ない模様。
(註3)「台湾原住民族との交流会」に関してはこのサイトを参照。
2013年03月02日
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