2013年01月19日
玉山西峰−5
【写真説明:写真はクリックして拡大】頂上で撮影した写真二枚を並べた。各々の写真、特徴がある。まず、左写真、同一の頂上に対し、二つの標高が存在していることを示している。これは、「台湾百岳について−2:標高と序列」で述べたが、その時は、最新版は「経建3版」と呼ばれるもので今現在の台湾百岳の正式標高はすべてこの版に拠っている、という説明をした。それ以前の版は通称「57年版」で、百岳山頂の標高表示はまだこの二つが混在している。ところが、西山のこのケース(少なくとも2003年当時)は少し異なる。
正式標高は、このブログでもそう記載しているように3,518メートルである。ところが、その数字には当該写真中には見当たらない。代わりに、3,528と3,467が表示されている。前者は57年版である。なら、後者は?以前掲載した『新高山登山道新舊比較』中の上段現代登山図の西峰を見て欲しい。頂上南西側ピークの標高であることが判る。同時に、下段の日本時代の登山図だと当時は3,528メートル、つまり57年版と同じである。尚、玉山連峰で唯一三角点を有するのは主峰、新高山(一等)のみ、東、西、南、北、加えて前山、すべて基点無し。
右写真は何の変哲も無い写真で、この西山シリーズに掲載する写真を選択するまで全く気付かなかったし、当時それと意識して撮影したとも思われない。偶然にも写り込んでいたという外無い。同写真上に写る碍子(がいし)で日本時代のものだ。同ケースは「合歓山越嶺古道−3」で紹介したことがあるので、当該記事の下段掲載の写真を参照にして欲しい。(終り)
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