2012年11月17日

玉山西峰−2

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【写真説明:写真はクリックして拡大】上掲左写真は、西峰観景台、或いは西峰下観景台と呼ばれている。日本時代の登山道では、この展望台上標高差約300メートルの場所に休憩所があった。ここまで至り、初めて新高山、即ち玉山主峰の勇姿を仰ぎ見ることになる。右写真は、玉山登山道中のエコ・トイレ。地下への垂れ流しを止めて水分を蒸発させる仕組みだと理解しているのだが。2002年、2003年の私の記録にはなく、2004年の登山の際に写真数葉があるので、其の辺りに導入されたのだと思う。アメリカに居た時分、シエラネバダ山脈中のホイットニー山(標高4,418m、アラスカを除くアメリカ本土での最高峰)のトイレの仕組みを聞かされ随分感心したことを思い出させてくれた。但し、ここに掲載した写真は2009年、前山に登攀した際に撮影したもので、当時は、前山登山口付近とここ西峰下観景台下の二箇所に設置されていた。

これまで何度も言及してきたが、日本時代の新高山登山道と現代の玉山登山道のコースは異なる。

この内、現代の実質的な登山口であるタータカ(塔塔加)に至るまでの両コースの違いは拙「台湾古道」ブログの「玉山古道」シリーズで詳細を述べた。今回は、タータカから旧新高下駐在所、即ち排雲山荘に至るまでの両コースを比べることにした。

既に前回、前々回記事で述べたように、大きな違いは、現在では西峰登山は、空身での排雲山荘との往復になるが、日本時代は、タータカから西山頂上越えで、当時新高山登山の為の宿泊も提供していた駐在所に降りて来ていた。「降りて来ていた」という表現をしているのは、西山、即ち西峰標高が3,518メートルであるのに対し、旧新高下駐在所、現排雲山荘のそれは3,402メートルだからだ。

今回の記事を起こすに当り、新旧の登山地図を並べてみるという基本作業を初めて実施した。その結果出来上がったのが『新高山登山道新舊比較』である。「一目瞭然」を期する為に、タータカから新高山頂上までの区間に限定、地形図の縮尺も5万分の1で統一し、上下でそのまま直接比較出来るようにした。

但し、新旧の地図は縮尺は同じだが、等高線が異なる。現代台湾のものは5万分の1地形図標準の主曲線20メートル、計曲線100メートルだが、日本時代の黒川氏製作の当該地形図は各々40メートル、200メートルの変則である。

後誰でもも直ぐに見て取れるのが山の標高の違いである;前山(3,236m)−前峰(3,239m)、西山(3,528m)−西峰(3,518m)、新高山(3,950m)−玉山主峰(3,952m)。が、これは測量技術・方法に依るものだろうという風に考えるより、日本時代の陸地測量部に依る測量の技術レベルが非常に高かったと考えるべきだろう。何しろ、戦後長らく玉山主峰の標高は3,997メートルとされていたのだ!

起点、タータカと終点、排雲山荘は新旧動いていないが、以下のマイルストーンを選び比較してみると、旧登山道が現代登山道に比してかなり高い部分に開鑿されていたことが判る。

(旧) ― (新)
タータカ鞍部(2,610m) ― 塔塔加鞍部(2,610m)
前山直下登山道(約3,040m) ― 前峰登山口(2,877m)
西山休憩所(約3,360m) ― 西峰観景台(3,053m)
新高下駐在所(3,402m) ― 排雲山荘(3,402m)

現在の前峰登山口と前峰頂上との落差は約360メートル、上記の旧前山直下登山道と前峰登山口の差が約160メートル、つまり当時の登山道は、現在の前峰登山口−前峰頂上間登山道の丁度真ん中辺りを横切っていたことになる。ここまで判れば、今そこを再び登れば旧登山道の痕跡を特定出来そうだ。

新旧展望所の落差が約300メートル、この展望所から現代登山道は暫く約3,100メートルの等高線沿に西峰北側山腹に開鑿されているので、西山(西峰)の標高が3,500メートル強、旧道はそこを乗り越していたので、新旧登山道の最大落差は約400メートル強にもなることが判る。(続く)
posted by 玉山 at 21:47| 台北 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 玉山西峰(第25座:3,518m) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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