2012年10月27日
玉山西峰−1
【写真説明:写真はクリックして拡大】2002年、並びに2003年に撮影した排雲山荘の写真を並べた。中央写真は主峰登山口側を撮影、右写真は逆に主峰登山口を少しだけ上がり撮影。本文記事下掲載の左写真は露営地、これらのテントは山荘の貸し出し。右写真は西峰登山道から見下ろした排雲山荘。山荘の前身、日本時代の新高山登山はタータカ(塔塔加)から西山頂上経由で現山荘の前身、新高下駐在所へと辿った。当時の登山者は同様に駐在所を見下ろし安堵したのではなかろうか?と想像しモノクロにした。二回の新高山登山の際に撮影した山荘の写真はここに掲載したものがすべてである。尚、2004年の三回目の登頂の際は一枚も撮影していない。
西山の第一回目の記事は、台湾で最も有名な山荘である、排雲山荘についてである。今回写真を掲載した山荘は最早存在しない。2010年暮れに取り壊され、代わりに新しい山荘が設計、施工された。台湾では「改建」と呼ぶが、実際は「新装」である。旧山荘を「古撲」の風有りと表現し残念がる岳人は多い。私もラッキーだったと言う可きか?
今現在新装排雲山荘がどういう状態になっているかは、ネット中に写真がある。もう完成しているとしか言い様が無い。但し、今私がこのブログを書いている段階では開放されていないはずだ。排雲山荘の最新状況については、台湾のネットニュース「ETtoday新聞雲」の9月24日付けのニュースしか見当たらず、そこには「直升機吊建材予算暴増9千万 排雲山荘開放恐再延」(ヘリコプターに依る建材運搬費用は9千万台湾ドル!又もや排雲山荘の開放が遅れるかもしれない)というタイトルが踊っていた。
その記事に依ると。。。同山荘の改装は2010年11月に着工、当初の計画では2011年11月には完工する予定だったが、国家公園管理処と請負業者との間で建材・工事費用で紛糾、業者側が公園管理処を告訴、年内は愚か、更に遅れる可能性がある。本来の計画では建材の「現地調達」(筆者コメント:実際の意味は旧山荘建材並びに山中にあるものを最大限に利用する?)を原則に3千8百万台湾ドルの予算が組んであったが、業者側は建材をヘリコプターで運び上げた為、工事費用は1億6千万台湾ドル、当初予算を1億2千万台湾ドルも超過、爆発的に膨らんでしまった。その内の9千万台湾ドルがヘリコプター代だというわけだ。。。
何故このような莫大な差異が生じたか?何故建材をヘリコプターで運び上げることになったのか?等は、上記記事では明確に説明されていないが、実際は双方かなり以前から揉めており、今年4月5日付けの自由時報電子報「排雲山荘改建爆財務糾紛 重啓日難估」(排雲山荘改装に伴う財務紛糾噴出、山荘再開放日時の見通しが難しい)では次の通り報じている。。。
請負業者に依れば、新山荘を設計した設計事務所は経験が浅く、必要建材を余りにも少なく見積もり過ぎており、実際工事を開始してみると当初予算では全く賄い切れないことが発覚(例えば、コンクリートは、当初見積もりの10倍!もの量が必要なことが判ったという業者側の主張)、しかも、山荘設計の要求品質を達成する為には、コンクリート、鋼材の使用は必須(筆者コメント:従って、ヘリコプターで運び上げるしかないということを示唆している?)、これに対し、設計事務所側は建材「現地調達」を強調)、更に、公園管理処−業者間で取り交わされた契約書中に「実做実算」(実際やってみて掛かった分を計算・請求・支払いを決するの意)の約款があると、公園管理処を非難している。山荘は殆ど完成しているのに開放時期が不透明なのは、業者側が、公園管理処側が全額の支払いに同意していない為、物件の差し押さえ(物件の引渡し拒否)を裁判所に上告しているからである。。。
二つの記事を読み比べると、今年4月時点で大方新山荘は出来上がっていたのだが、爾来半年が経ったにも拘わらず、未だに決着を見ていないということだ。
日本時代の台湾の駐在所としては最高所に設置された新高下駐在所に遡るこの山荘、旧山荘の収容人員は、山荘内が90人、山荘外の露営地に30〜40人だった。新山荘はこの露営地を潰して拡張、収容人員は130〜140人程度になるそうだ。前回の記事に書いたように、今現在は、同山荘より更に1キロ、三時間程度登った南峰頂上下に位置する円峰小屋まで上がらねばならず、その登山客収容能力は40人弱、この状態が丸々二年も継続していることになる。私自身は今年の中国国慶節に玉山連峰への登山を企図するまで以上の状況は全く無知だった。(続く)
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