▲[←俯瞰図はココをクリック]
私にとっての西山の印象は、二つ。。。一つは、同座山頂に鎮座する純日本式の祠。初めて登頂した2003年4月当時、すぐに日本式祠だとは気付いていたが、深くは考えず。金子さん主宰の『台湾に渡った神々』ブログで詳細を了解した次第。今の私でも、正式には「西山神祠」、昭和9年(1934年)11月14日鎮座の二つの事実で十分なのだが。従って、当時祠そのものをまともに撮影した写真はゼロ。辛うじて、祠が写った写真が数枚あり、その中の一枚が「玉山古道−3」で紹介したもの。
「初めて」登頂した云々と書いたが、以前何処かで書いたように、新高山自体にはこれまで三度登っている。その内二度目に登頂した際、西山にも足を延ばした。排雲山荘一泊二日の玉山登山の場合、初日に排雲山荘に着いた後、空身で西山を往復するのが定番コース。従って、山荘に到着した時点で疲労困憊している大部分の登山者には、往復僅か三時間程度だと言われても、身も心にもそんな余裕は無し。私の場合も、一回目と三回目は同じ憂き目に遇っているわけだ。
このように、今現在は西山登山は、新高山登山のオプション・コースの趣があるが、実はこのオプション・コースこそが、嘗ての新高山登山道、玉山古道の生き残り部分なのだ。というのは、日本時代のコースは西山頂上経由で、今の排雲山荘、当時の新高山下駐在所へと辿っていたからだ。
以上、西山神祠と、西山登山道、今なら以前とは相当違う見方で歩けるのだがということを、恨みがましく綴っている。
さて、二つ目の印象。。。週末登山なら、新高山頂上でのご来光の恩恵に預かろうと、頂上直下の登山道には登山者の行列が出来る。真っ暗な登山道を喘ぎ喘ぎ登りつつ後ろを振り返ると、西山越しに、その先の稜線上に一点灯りが見える。これはちょっとした驚きを私に齎してくれた。阿里山森林鉄道の現在の最高点、祝山駅の灯だと、我々の前を行く登山者の誰かが説明してくれた。今回の俯瞰図は、その「新高山頂上直下で後ろを振り返った時のパノラマ」をテーマにした。対高山と大塔山は阿里山を代表する山、阿里山という山自体は存在しない。以前の記事に書いたことがあるが、「対高」とは「新高山に対する」意味で、現在でも「新高山」の呼称が残存している例。又、「児玉山」は児玉源太郎に因む。大凍山は麓には国家歩道が設えられ南台湾でハイカーに非常に人気のある中級山の一座、西山越しに振り返った時によく目立つ尖峰。
ところで、この西山シリーズ連載を終え、新高山シリーズを書き始める頃までには、玉山群峰すべてを踏破していることを目論んでいた。今年の国慶節は八連休もの豪華版なので、排雲山荘を基地にして三泊四日の山行が組めれば、未登の東山、北山、南山の完登が可能だった。実際は、今現在排雲山荘は改装中で使えず、そこから更に三時間登った南山袂の圓(円)峰小屋を基地にしなければならなかったのだが。結局、体力の問題の前に、籤に当るかどうか?の問題、この時期、無理だろうなあと淡い期待だけは持っていたが、やはりダメだった。日本を始めとする外国からもどんどん新高山を目指す現在、排雲山荘のスペース確保は至難の技になりつつある。(了)
2012年10月06日
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