2006年09月15日
北大武山−2
【写真説明】左写真はパイワン族の村、屏東県泰武村(日本時代:タワルス社)からの大武山の壮観。右の山塊が南大武山、左側が北大武山である。南大武山の方が高く見えるが、実際の標高は2,841メートル、百岳には数えられていない。又、北大武山も岩が迫り出した一番高く見える部分が頂上ではない。頂上は更に写真左奥の稜線上に位置する。右写真は、高雄県美濃鎮の水田越しに望む中央山脈南端。同写真右奥稜線は右から、南大武山、北大武山、霧頭山、左側稜線上の尖峰は大母母山(2,424メートル)である。美濃からの大武山は、高雄辺りから見る女性的な山容とはがらりと変わり、五嶽の一つに数えられる荒々しい山容が露わになる。
北大武山へは屏東県と台東県の境界に聳えるが、専ら屏東県側から登られる。登山口へ到るには、三地門と枋寮を結ぶ県道185号線(沿山公路)のほぼ中間地点である泰武(日本時代表記:タワルス)から入る。沿山とは文字通り、山、即ち大武山を含む中央山脈の裾野を走る車道である。
高雄市からここに到るまでは、今は高速1号線を経て快速88号線で潮州まで出てそこから沿山公路に出てしまえがすぐであるが、88号線がまだ走っていない頃は、何とか潮州とか、或いは屏東市経由で内浦まで辿りつけてもそこから沿山公路に出るまで無数の細かい道が走っておりよく迷った。そのお陰で、泰武郷の西隣、萬巒郷にある萬金天主経堂(台湾最古のカトリック教会、1869年建立、国家二級古蹟)とか劉家祠堂(屏東地区では有数の客家合院建築)の古蹟に図らずも行き当たるという幸運にも恵まれたが。
地図を見れば沿山公路上に丸印が付けられ泰武と記されているが、ここは泰武郷の郷公所が置かれているからで実際は佳平村(日本時代表記:カピヤン社)である。ここが登山口への登り口の一つで検問所があるが始終ゲートは上がりっぱなし、つまり入山証を提示する必要がない。
もう一つの登り口は南隣の村、武潭(同:プンティ社)であり、この村から入ると検問所が陽のある内は管理されており入山証を求められる。どちらの入り口から入ってもすぐに山をぐんぐん登りだし、標高が五百メートルを越えたところで行き逢い、そのまま泰武村(タワルス社)に到る。すべてパイワン族の村落であり、現在の村落は戦後移遷してきたものである。登山者にとっては佳平村から入った方が入山証が不要な上に、車道も広く、しかも常に広々とした高屏平野を背負って登る形になるので天気がよければ高雄市まで見通せる景色は非常に気持ちがいい。
初めて泰武村に到った時、いきなり南・北大武の大きな山塊が眼前をすっかり遮るように立ちはだかっている様には本当に驚いた。日本の三千メートル級の山岳は相当山奥まで踏み入らなければなかなか同じような風景には出会えない。台湾も他の高山も実は同じで、大武山だけが例外である。平野部の裾を車で半時間程掛けて登り到った村落からいきなり二千メートルぐらいの高度差で立ち上がるのである。しかも泰武村に向かう山肌は荒々しい崩壊部を露にしており、夏場であれば巌(いわお)を幾く筋もの小さな滝が洗う。北大武山はパイワン族の聖山である。誠に聖山と呼ばれるに相応しい山である。(>次回に続く)
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♪ aiya 大武山 是美麗的mama〜
これは胡徳夫のCDアルバムにある《大武山美麗的mama》の一節です。桃園空港に友達を迎えに行きました。しかし、飛行機が送れて時間ができたので、CD店へ。そこでこのアルバムを見つけて買いました。内容がわかっていたわけではないんですが、表紙の彼の写真がとても良かったんです。結果は『当たり』でした。で、4月末の彼と雲門舞集のコラボレーションを見に国家戯劇院に行ってしまいました。彼はプュマです。それに、台湾に行った時にはいつも泊まる家族の知りあいだということもわかってもうびっくり!
山とはあまり関係ないことですみません。
あの辺りの山は釈迦の木が隙間なく植えられているのを列車の窓から見ました。本当に一本でも植えられる隙間があれば植えてあるという感じでした。それに、その木の根元は草がなくて土がむき出し。雨が降ったら土が流れてしまうのではと心配になりました。釈迦は高く売れるということで、収入増を図るのは解かりす。しかし、その根本である土がだめになったら元も子もなくなってしまうと思うのでが・・・・。
私は釈迦がとても好きです。しかし、あの様子を見て食べるのを止めました。山を壊すのに協力しているようで。
コメント有難うございます。というより恥ずかしい限りです、古道の方のブログを維持するのが精一杯で山の方はブログを立ち上げただけ、全く更新していません。こちらも何とか一週間に一回は記事を発信出来るようにします。
釈迦に限らず換金作物を山の斜面に植えるのに多分何の規制もないのだと思います。例えば、確か数年前だったと思うのですが、梨山の農家は大雨の為の土砂崩れで大打撃を受けましたが、林檎、梨、柿、桃等を無放埓に山の斜面に植えていった結果だというのが私の理解です。そもそも台湾の山を壊しているのは檳榔ですが、檳榔栽培を規制することなんて多分台湾では無理ですね、台湾の隠れた一大産業で上から下まで柵(しがらみ)だらけでしょうから。(終)
こちらの方が人がいなかったので入りやすかったのです。それに古道の方と比べて見やすいのです。あちらは色のコントラストが強いのか、私にとってはちらちらして読みにくいのです。本当はきちんと読みたいのですが。
ビンロウのことはそうですね。必要としている人はたくさんいますし、あれはどこに行ってもありますし、山にとっては根を深く張らないので問題だということを聞いたことがあります。