▲[←俯瞰図はココをクリック]
向陽山は頂上に立つまで非常に難儀した山の一つである。最初の登山の時の経験は印象深い。二回目に登った時は一回目とは対照的に快晴に恵まれ、まるで別世界だった。それだけに何故一回目の山行の際、艱難辛苦したのか全く判然とした。
一回目の山行の際の印象は三つに尽きる―向陽山屋の夜の鼠の運動会。向陽山屋から大崩壊鞍部に登り詰めるまでの土砂降りと強風の中の急登と徘徊。何も見えない頂上と頂上直下の嘉明湖避難小屋での暖。
これらは、追々本文記事の中で詳しく述べる積りだが、ここでは、最初の鼠の運動会に少々言及しておく。
私が子供の頃は、鼠は家中を闊歩していたものだ。特に、我々の机の引き出しは彼らにとっては最高の棲家であり、闇雲に引き出しの中の物を齧られていた。本当にひもじい時(?多分動物学的には正しくない)、私の枕元まで進出してきて私の手の指を齧っていた。
今は、仰々しく「向陽山屋」などと呼称されている。実際専用トイレまで備えた堂々たる山中の休憩基地である。私が最初に行き着いた折は、作業小屋でしかなかった。現代台湾では「工寮」と称する、休憩兼宿泊簡易施設だ。小屋の前はテントが数張り張れる広場になっていた。
トイレは無い。広場脇の竹藪がトイレで、その下を小さな沢が流れていたので、私みたいな野人でも相当な抵抗があった。野の中のトイレに抵抗があったのではない、悪しからず。
小屋の中には多くの登山客が居た。小屋の中には多くの針金が張り巡らされていた。それが何の目的かは私は即座に理解した。食料は針金に吊るし鼠君の襲撃をかわす為である。
実際皆が就寝すると即座に鼠君の運動会の開始である。我々が寝ている上をお構いなしに駆け始めたのである。その数と大胆さに驚いた。この種の鼠の出来るだけ学問的な呼称は何かというと私は判らない。普通の小型鼠なのだが、二十日鼠、或いは、もっと広義に野鼠か?いずれにしても憎めない程に小さな個体だ。
快適さと不愉快さの閾値ということになろうか?現代人にこんな話題を提供しても理解して貰える余地はなさそうなので、この辺で最初の稿を終わりにする。
ところで、今回のダイヤグラムは、登山口から向陽山頂上に至るまでのルートを示すことにした。同登山口から向陽山を経て、三叉山、嘉明湖までの往復、山中一泊二日、南二段の入門コースである(続く)
2011年07月23日
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