▲[←俯瞰図はココをクリック]
塔関山との最初の出会いは今でもよく覚えている。2001年11月のことである。この頃は、既に台湾に赴任してから優に一年半が過ぎており、しかしながら、私の頭の中では百岳も古道も形成されていない時期であった。
車が「天池」の道路標示に掛かる辺りで前方に、当時の印象としては、奇怪で且つ圧倒的な量感を以て迫ってきた山塊が塔関山と呼ばれることを知ったのは、実はその後である。この時のことについては、既に「台湾古道」ブログの「関山越嶺古道」の第1回目の記事で書き尽くしたので、ここでは繰り返さない。まずはその記事とそこに掲載した写真を閲覧していただきたい。
大関山と呼ばれる山頂を有した山が存在するのかどうかは長い間判らなかった。今は、省道20号線、通称南横の最高点にして、高雄県と台東県の県境でもある大関山トンネルの名としてしか残っていない。それで私は、大関山とは、関山から向陽山を結ぶ天嶮の総称ではないか?と考えていたのだ。台湾のネット上ではよく、「塔関山(大関山)」の説明を目にする。つまり、大関山とは塔関山の旧称という意味だ。日本時代に本当に大関山と呼ばれていたかどうかは、私の手元にある日本時代作製地形図の復刻版には山名そのものの記載が無い。
山容が奇怪なのは実は塔関山より、塔関山山頂からそのまま北へ延び関山北峰(3,429メートル)に至る、ナイフの刃を斜めに渡したような鷹子嘴山(3,262メートル)である。この稜線は素手で渡れそうだが、一般の登山者がこの明らかに危険この上無い尾根を普段越えているのかどうか?疑問だ。私はこれまで二回塔関山山頂に到ったが、この名誉に浴していない。
後、塔関山に関して印象深かったのは、旧正月に登った際、霧氷を目撃したことである。台湾の高山が何たるかをまだ知らない頃だったので、酷く、そして単純に驚いた。台湾で霧氷が見れる!追って、次回以降の記事の中で写真を掲載する積りだ。
南横脇に登山口があり、往復4〜5時間を見ておけばいい。単純に駆け上がるような登山道だが、頂上直下の部分はかなりの急勾配である。登山道が旧関山越嶺警備道と交差しているのだが、今行けば容易に特定出来そうだが、残念ながら過去に登った際は、古道の知識はさらさらなかったのが残念である。
今回のダイアグラムは、塔関山越しに、長春祠と天池を見降ろした俯瞰図にした。長春祠と天池がグーグル・アース上で明瞭に写りこんでいたからだ。最初は逆の俯瞰、つまり天池から塔関山を見上げたダイヤグラムを作って、私の最初の塔関山との出会いのイメージを再現しようとしたが、起伏の強調度を倍近くまで上げても、実際目の当たりにする山塊の大きさ、高度感は再現出来なかったので、没にした。(了)
2010年06月19日
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