2010年04月17日
庫哈諾辛山−1
【写真説明:写真はクリックして拡大】南台湾高山帯の文字通り瑞々しい(みずみずしい)樹相は身と心に滲み入る。残念ながらそのイメージを小さなサイズの写真数枚で表現することは難しい。ここに掲げたのはあくまでサンプルである。
以下日本時代の表記に従いウハノシン山と記す。
ところで余談を一つ。今気付いたのだが「うはのしん」とタイプして変換して出てきたのは「右派の新」。平沼赳夫新党の旗揚げは芳しくなかったというニュースを、中国蘇州に居ながら聞く。今後日本の最大の外交課題は、中国が沖縄を獲るということと私は認識しているのだが、国民の大部分にそんな意識は希薄のようだ。これは多分に日本のマスコミが意図して国民を盲(めくら)にしているとしか考えられない。上海万博まで二週間を切り猛烈な突貫工事の続く、揚子江デルタ地域を横目にそんなことを考えながら台湾の山に思いを馳せる。現代日本人に地政学的な危機感を煽る一番の方法は何かしらと思う。その場合、「台湾」はキーワードである。
ウハノシンは、眺め堪能する山とは言い難い。かと言って根を詰め息を切らせて登る山でもない。ウハノシンは何よりも関山北壁崩壊部の一番の展望所だ。正確には、関山とウハノシン登山道の分岐点である3026山屋(標高3.026メートル鞍部にある避難小屋)とウハノシン山を繋ぐ登山道上自体がその展望所である。
ウハノシンは前にも書いた通り日帰り可能な百岳の一座である。且つ、南一段縦走の最初の一座でもある。南一段を縦走するのに逆方向、つまり卑南主山を第一座をして南から北へ縦走する兵(つわもの)は極めて少ないという意味での第一座である。通称「南横」(南部横貫公路、省道20号線)に掛かる信[さんずいと徑のつくり:けい]橋横から今は玉山国家公園管理処が敷設した立派な登山口から登り始める。
3026山屋までのイメージは大凡このようなものである。即ち、行く手方向右側からの沢音を聞きながらの、枕木を利用した階段の急登―杉の倒木上に厚く積もった苔が実に見事な休憩所に相応しいちょっとした平坦地―山小屋直下の粋とは言えない土の露出したジグザグの登山道。大凡三時間弱。
この間、何処かで、しかも登山口にかなり近い所で関山越警備道(古道)と交差しているはずなのだが、未だに判らない。それを確認しに同じ登山道を辿っている途中で、レンジャーに出食わし、強制的に下山させられた苦い経験がある。既に、玉山国家公園の領域内である。入園証+入山証の取得・持参が義務付けられているからだ。実は、一回目は関山、二回目はウハノシンに登頂した際は、これらの証明を持たずに登っていた。三回目にして、してやられたわけだ。とは言っても台湾の国家公園の入園システムは実は気に入っている。
3026山屋まで上がってきたのは随分昔のこと、台湾の山に登り始めた頃だ。雨が降っており、この避難小屋に泊まろうか、或いはテントを張ろうか、迷っていたのだが、本当にびっくりしたのは、小屋の廻りが踏み場のない程(という印象を持たざるを得ない程)人間の糞だらけだったことだ。小屋の中では先に入ったパーティーが煮炊きをしていたのだが、もう小屋の中に入る気がしなかった。少しでもこの巨大なトイレの中から逃げ出したいという一心。それで小屋の上方にある露営地に上がってみた。露営地自体は板敷になっていたので助かったが、露営地外の叢は先程の状況と大して差があるわけではない。観念した。同じような状況はその後も他の山小屋、露営地でも体験することになるのだが、改善は進んでいるのを知っている。当時、関山から降りてきた後は、もう二度とここまで上がってくることはあるまいと思ったものだ。(了)
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