2010年03月27日

畢祿山−4

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【写真説明:写真はクリックして拡大】合歓山越嶺古道の核心部、同時に台湾古道上の白眉、今は錐麓古道と通称されている段よりタロコ(太魯閣)渓谷越しに望んだ(写真左から)合歓山-畢祿山-無明山へと連なる稜線。細かくは、稜線上の大きな山塊が畢祿山(36号、3,371m)、その手前雲の掛かった部分が羊頭山(97号、3,035m)、右側へ延びる稜線は鈴鳴山(55号、3,272m)、無明山(29号、3,451m)へ繋がる。畢祿山の左に三つのピークが見えるが、左から合歓山東峰(33号、3,421m)、石門山(70号、3237m)、北合歓山(32号、3,422m)。同写真下に写るタッキリ(立霧)渓沿いの自動車道は、省道8号線、通称「中横」、オレンジ色の建造物は国家公園登山学校(旧緑水地質景観展示館)。

私が各百岳の俯瞰図作成に利用しているグーグル アースは恐ろしく便利なものである。但し、今は、少なくとも前回庫哈諾辛山のダイヤグラムを作成する時までは―と言い直さなければならないことについ最近気付いた。

「レイヤー」と呼ばれる中に実に様々な情報が網羅されており、私の場合は特に「地勢」レイヤーを重宝していた。山名と河川等の水域情報が提供されていたからだ。私にとり、撮影してきた山々の山名を特定するのにグーグル アース以上の武器は無かったのである。

それがである、数日前にレイヤーを見ていて、どうもこの「地勢」レイヤーが消えているようだというのに気付いた。私は二つの可能性―私自身が認知症に陥ったか、パソコンの問題でこの重宝なレイヤーが強制的に削除された―に苛まされ、ネット上を一日半彷徨っていた。最後に行き着いたのが2010年3月27日付けの或るSNSの以下のような書き込みである:

「個人的に重宝してた、交通と地勢のレイヤ群が消滅とは・・・ 交通レイヤ群がトップ階層に上がってくる事を期待して 使用統計も送信設定にしてたんだけど、まさか消滅するとは・・・どこの世界でもマイノリティなオレ涙目」

この書き込みの前後を読んでいくと、マイナーなレイヤー、つまり使用頻度の低いレイヤーは予告なしに削除されるということが判った。フリーサービスの恩恵に甘えていたとは云え、大問題である。

最近、上述のように錐麓古道を歩く機会に恵まれた。この古道も含め合歓山越嶺古道に関しては稿を分ち私の別ブログで紹介する予定である。今回はタロコを紹介することが目的ではない。且、畢祿山が主役でもない。「地勢」レイヤーが消えてしまったことが一大事で、如何に困惑しているかを訴えたかったのだ。

上掲写真説明は、実際はその景観に浴していた際に特定出来ていたわけではない。というより大いなる誤解をしていた。最後方稜線の左側山塊が畢祿山であることは良し(但し、畢祿山が良く見える断崖駐在所跡の案内板にそう書いてあったからだが)として、その左側の複数のピークを奇來山塊と思い込んでいた。又、今回掲載した写真には写っていないが、畢祿山から右側に長い吊尾根が延びておりその先に更に大きな山塊が見えていた。私はその山塊を羊頭山だと考えシャッターを切っている。実際は無明山で、羊頭山は畢祿山塊の陰で大人しくしている。

庫哈諾辛山の記事を書くはずだったのに、いきなり畢祿山の続きを持ってきたのは、グーグル アースの「レイヤー」の問題に遭遇し、これは私にとって一大事であったこと、その際、今回掲載の写真を始め錐麓古道踏査時に撮影した山々を特定しようとしていたこと、錐麓古道に関しては後で紹介する機会は幾らでもあるのだが、憧れの古道に分け入った興奮をまず少しでも鎮静させる触り程度の紹介をしておきたかったこと、実は畢祿山をそれとして意識して眺めたことは以前にはなかったこと―以上のような理由である。(了)
ラベル:台湾 台湾百岳
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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 畢祿山(第36座:3,361m) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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