2009年10月31日
「台湾百岳」について−6:「台湾小百岳」
【写真説明】嘗ては左二枚写真(2000年11月撮影)のような光景が高雄市の寿山(柴山)全体で見られた。その後、猿の間に伝染病が入り込んだことがあり、それを切っ掛けに、野生保護の名目下、猿に食べ物を供することは厳禁、罰金刑が導入された。成長した猿の面構えは実にいい。最近では人間の方にこういう面構えの人が少なくなってきたと思う。2009年3月撮影。
「台湾小百岳」は、以前メルマガ「台湾の声」の投稿の中で少しばかり紹介した。それをそのまま引用する:
2003年行政院体育委員会が選定。選定条件は、山容が特殊で展望が良いこと、交通の便が良く、登山道が整備されていること、更に、台湾各都市近郊に位置していること、等であった。因みに、「台湾百岳」の方は1971年、当時の台湾省体育会山嶽協会(現在の中華民国山岳協会の前身)が標高3,000メートルを超える山岳の中なら選定。その後の測量の結果、一座だけが3,000メートルに満たない。
「台湾百岳」の日本の対抗馬が深田久弥の「日本百名山」だという紹介はよくなされるし、私自身もそういう書き方をしてきたが、実は「台湾小百岳」選定の基本思想は、「日本百名山に倣って、台湾も百名山を選定しよう」というものである、というのが私の理解だ。その具体的な選定方法が上記のように相成ったわけだ。
さて、今回の記事は、その台湾百名山の一座、高雄市の裏庭、寿山を紹介する為に、わざわざこの小コラム的、或いは、小休止的な投稿を設けた。というのは、台湾百岳だけに特化していると、この私の大好きな小山にはとても触れられる機会がないからだ。
高雄人は、柴山と呼んでいるが、寿山は日本時代の呼び名で、嘗ては台湾八景の一つに数えられた。高雄神社と本願寺があった。当時の日本人は、柴山をそのように愛でていたことになるが、もし現代版台湾八景があるとすれば、柴山は当然のことながら選に漏れているはずである。日本からの台湾観光ツアーの中に柴山歩きが定番コースとして組み入れられているとは思えない。現代人の風景に対する感覚はその程度だということである。
尚、本当にこの珊瑚礁山塊全体を単に寿山とか柴山とか一つの山名で括ってしまうのが正しいのかどうかは、実は私もよく判らない。追々調べることにする。
私は、柴山+高雄市だけをテーマにしたブログを立ち上げることを考えたことがある。柴山だけでも可能かもしれない。僅か標高が三百メートル程度しかない珊瑚礁の塊であるこの山は、とにかく語り尽くせないぐらいの魅力に富む。
不思議な山である。真夜中はどうなのかまだ偵察したことはないのだが、早朝から夕暮れまで、平日、週末を問わず、天気を問わず、この山を歩く人は尽きることがない。台風の最中に歩いている人を見たことがある。台湾の景気も悪いので、統計を取れば最近は登山者が増えたかもしれない。週末は当然大勢の老若男女で賑わうが、何箇所もある登山口付近は混雑することがあっても、一旦山に入り込んでしまえば、実に静かな山歩きが楽しめる。柴山は高雄人をすっぽり抱きこむような懐の深さがある。誰の目にも触れず私の遺体を置かせてもらえそうなスペースはありそうだ。
喩え同じコースを毎日歩いても私は飽くことがないという自信がある。実際は、山中の登山道は複雑を極め、その総延長は一体何キロになるか判らない。そのうち時間があれば、全登山道の総ざらいをしたいくらいだ。
登山道の勾配も年齢、体力に応じて選択自由、大概の人々は嘗て浅野セメントだった工場のある東側から入るが、これは嘗ての砕石運搬道が今は登山道として使われているからだ。台湾海峡に面した現在中山大学がある側、つまり西側から入山する方法もある。こちらの方だと、珊瑚礁の垂直壁を攀じ登るような感覚があり、壁を登り詰めた場所からの、足下の西子湾とそこから広がる台湾海峡の眺望は、なにせ西向きだけに、絶品である。ロッククライミングに最適な岩場もある。総じて、ヒマラヤ登山の為の基本トレーニングは、この山で事足りる。
さて、柴山の魅力に大きく貢献しているのが、珊瑚礁と台湾猿である。彼らを読者の皆さんに紹介する為にここまでだらだらと書いてきた。但し、そのすべてを紹介するのはかなりのページを割かなければならない。今回はそのさわりだけとしたい。(了)
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