2009年01月31日
「台湾百岳」について−5:新田次郎「劔岳 点の記」
【写真説明】私の友人が測量に携わる者のバイブルとして紹介してくれた新田次郎の「劔岳 点の記」を読み終えた。山登りに興味が無ければなかなか楽しめない小説だと思う。これは仕方がない。加えて雪山の経験があれば尚更臨場感があろうというものである。雪渓の話がよく出てくる。劔岳より遥かに高い山々が連なる台湾では、緯度上は半分が熱帯なので雪渓は形成されない。雪崩が起きることも無い。それでも厳冬期の日本の山を彷彿とさせる様が現出する。写真は、雪山主峰(日本時代の次高山、標高3,886メートル、百岳第2座)東壁、雪山東峰(同3,201メートル、百岳第72座)から望んだもの。1月の撮影。主峰山頂は写真左奥稜線の最高点。台湾人でも台湾百岳のどの一座かに登ったことがあれば、「劔岳 点の記」は十分楽しめると思う。映画の方はもう試写会が始まっているそうだ。台湾の山岳愛好家の間でも話題になりそうだ。願わくは、それら台湾の愛好家が目にする三角点は、同書で描かれているのと正に同じ苦労をしながら、陸地測量部柴崎芳太郎の先輩、同輩、後輩達によって埋定されたことに思いを寄せて欲しい。
「劔岳 点の記」を紹介してくれた私の友人に敬意を表し、さらに読後の感想を思い付くままに書き加える。
●特に手に汗握るようなスリリングな場面が出現するわけでもなく、物語が大きく転換していくようなストーリー性に富んだ小説でもない。例えば、劔岳登攀の為のキーワード「雪を背負って登り、雪を背負って帰れ」が小説の流れの中で常に読者にささやきかけるような工夫が凝らされていたりとか、劇的な役割を担っているように描かれているわけでもない。叉、それぞれの登場人物の個性が前面に出てくるわけでもない。淡々と話は進んで終わる。山に些かでも興味がなければ誠に味気ない小説だと思う。
●但し、プロの小説家になるものであり、その淡々とした流れと題材の取り扱いは作者の意図したものかもしれない。物語は、三つのラインー当時の三角点測量の実際の作業、主人公の(没)個性、主人公のライバルたる日本山岳会への敬愛、を核にして、さらりと纏めてある。未踏峰にしてはあっさり登頂させているし、上司の理解を得られずとも悔し涙にくれさせるわけでも無い。主人公の妻への思いも通り一遍。逆にそうすることにより、三角点測量という当事者以外は誰も知らないその実際の仕事の中身と苦労を際立たせようとする手法?筆者が気に入っているのは、山岳会への敬愛のライン。
●分野は異なっても自然相手の役人同志という共感と慎みが全編を通じて感ぜられる。
●偵察の為の劔岳第一登攀と柴崎芳太郎自身の登攀の日付けの、作者自身の特定を当時の天気図に依っているのはこの小説の構想・準備段階に於ける白眉では?
●筆者が楽しみにしていたのは、今は重要文化財指定になっている頂上で発見された錫杖と鉄剣の鑑定に関する話、でも触れられていないので残念。本当に奈良朝のもの?文化財指定になった根拠は?そんなことを知りたかった。これは山に興味が有る無しに拘らず、大きなロマン。
●もう一つは、私の友人の言に為る100キロを越す(一等三角点の場合)と云われる標石の運搬・埋定に関する記述が何処かに出てくるのかなと期待していたが、全く無い。何故?
●柴崎芳太郎の台湾を含む「外邦図」作製の為の測量事績の簡単な紹介があれば嬉しかった。
●作者自身の立山温泉遺構訪問記が追記されていたが、筆者にはこの部分は実におもしろかった。今はどうなっているのかしら?何等かの保存・管理が為されている?
●筆者の読んだのは文春文庫版。巻頭に二葉の地図が付いているが、殆ど同じ地図、小説に登場する地域がすべてカバーされておらず、本文を読みながら誠に参照に耐えない。とうとうグーグル・マップに頼る羽目になった。(終わり)
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雪山は知りませんが、気温の下がった夜、吹雪の中を10分余りも進めば指先が凍る(悴むではない)感覚があります。保温性の高い用具はなかった事でしょう。頭脳と共に肉体使って何かをなすことは人本来の姿のように思います。況してや厳しい環境の下ですからそのことが強く感じられるのではないかと想像します。
最後の段、地図の不備は痛いですね。地図の有無は内容を理解し想像力を働かせるのに大きな力となると思いますので。