2008年07月26日

「台湾百岳」について−2:標高と序列

tm-15.JPG tm-16.JPG
【写真説明】左写真は台湾第二の高峰、雪山(標高3,886メートル)三角点。日本時代は新高山(玉山)に次ぐ高峰ということで次高山と呼ばれていた。ところが、台湾百岳制定当時は第五番目に格下げされた。今はその後の測量で再び二番目に戻っている。日本時代に設置されたこの三角点は無残にも折れている。右写真は中央山脈の最高峰(百岳6号)の秀姑巒山(標高3,825メートル)の三角点。三角点の礎石部分が完全に露出している。まだ全部百岳を登ったわけではないので確認出来ないが、百岳頂上にある三角点は例外なく日本時代に設置されたもののはずである。

インターネットで「台湾百岳」をキーに検索すれば百岳のリストは幾らでも手に入る。それらを幾つか突き合せてみればお互いに序列と標高が違うことに気付く。主に二種類が出回っている。百岳制定当時のもの(1968年版、「(中華民国)57年版」)と、その後の行政院経済建設委員会に依る最新版(「経建3版」)である。本ブログ中、ページ右の「山岳俯瞰図」メニューの中に、両版の違いを簡便に比較出来る様に、エクセルに依るリストへのリンクを貼り付けてあるので参考にして欲しい。

この二つの間で百岳の多くの標高が変わった。例えば、玉山は制定当時3,998メートル、四千メートルに僅かに二メートル足りないだけだったものが、現在は3,952メートルとされている。五十メートル近く標高が落ちたわけだ。中には百メートル以上も標高が変わったものもある。これは測量技術の差異であろうか?因みに、日本領有当時の玉山(新高山)の標高はメートル換算3,952メートル、現在と同じである。

お陰で、百岳制定当時選定基準が標高三千メートルを越えることであったが、今では三メートルに満たない山岳が二座あることは既に書いた。つまり、標高と序列は変わったが、今でも百岳は選定当時の百岳と同じである。

従って、実際これらの山々に登ると、頂上にある標示板に記された標高は57年版と経営3版が混在している。例えば、「北大武山−5」に掲載した写真に写る標示板の標高は3,090メートルであるが、これは57年版で、現在は3,092メートルとされている。読者の中にはカテゴリー名に記された標高と写真のそれとでは異なるので、あれっと思われた方があるかもしれない。又、西巒大山の俯瞰図に記した標高とカテゴリー名中の標高も異なる。前者は私のミスで57年版を記してしまった。

何故、このような差が生じたかは測量技術の専門家でなくとも興味あることなので、追々調べてみたい。(了)
ラベル:台湾 台湾百岳
posted by 玉山 at 16:34| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック