2008年05月24日
北大武山−5
【写真説明】左写真は頂上稜線上の台湾鉄杉の立ち枯れ。その白と緑のコントラストは全く見事。中央写真は北大武山頂上山塊を稜線南側から望む。右写真は三角点越しに台東市方面を望む。
山荘から頂上に向かうまでの道はきつく長い。特に稜線に出るまでは長いと感じる。稜線の突っつきは南大武山への登山道と合わさる。そこまで登ってくるまでに見える南大武山は、北大武山の稜線と簡単に繋がっているように見えるので、その南大武山へ連なる道に入り込んでいけばすぐに同山の頂上に立てる様な錯覚に陥るが、両稜線が途中で大きく落ち込んでいるのは知ったのは随分後になってからである。
やがで大武祠に到る。既に標高は3,000メートル近い。「祠」の文字だけからイメージするものは日本人によって様々だろう。まさか鳥居がたっているとは想像だにしなかったし、初めて登った時は、同時にそこに残存する高砂義勇隊顕彰碑がそれだとは気付きもしなかった。大武祠に到るまでにへとへとになっていたので、碑文を丁寧読む気力もなく、只碑文の最後にある「昭和十九年」の文字を目にし、戦勝祈願の碑ぐらいにしか考えていなかった。
それにしてもこの鳥居、明らかに台湾で最高所に立つものである。小ぶりの木製、既に七十年の風雪に耐え、熱帯の青空にすくっと突き出ている。この鳥居とコンクリート製の不粋な祠が何処を向いているのかは最初この地に辿り着いた時もちらと頭を過ぎった。鳥居下の階段脇に残る遺構が高砂義勇隊顕彰碑であることが判ってから合点がいった。フィルピン群島に連なるバシー海峡に臨んでいるのである。
さて、檜谷山荘からこの大武祠まで約4キロの急登、稜線に辿り着きやれやれ、三角点までは約1キロしかないことになっているのだが、この稜線歩きがひどい難物である。次に見える瘤が頂上のはずだと歩を進めるがことごとく裏切られる。結局、稜線最北部に三角点がある。この稜線上の台湾鉄杉の原生林は実に見事なのだが、ひたすら騙され続けながらの登山になるのでゆっくり愛でる余裕もない。
頂上からの360度の眺望を遮るものは無い。台湾が小さな島国であることを地上に居ながらにして実感出来る稀有な場所である。
尚、パイワン族、ルカイ族の聖山である大武山についてはこれまで「台湾古道」のブログの中で随分書いてきたので、もし読者で更に大武山に興味があれば、「崑崙拗古道」、「浸水営古道」、「パイワン族秘道」を参考にして欲しい。(北大武山:終わり)
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