2008年04月12日
北大武山−3
【写真説明】左写真は北武山登山口に到る道路脇で見掛けた紅葉。12月の撮影。但し、植樹したものである。台湾南部でも紅葉は見られるが、日本のように全山が紅葉で染まるというような贅沢は望めない。右写真は北大武山登山口、2002年7月の撮影であるが現在も同じ看板が立っている。
約二年振りにブログを更新することになる。これまでの三本の記事はこのブログを飾るべくかなり気合を入れて書いたが、「台湾古道」の方の記事を更新するのに忙しく、それも一週間に一度の更新でもかなり時間を取られる。これに「台湾百岳」を加え仮令ひと月に一度更新するペースでもかなり苦労することが予想されたので一旦記事の配信を停止してしまった。すると二年が経ってしまった。実はこの間、新しく台湾百岳に登る機会は失われ、専ら短い時間を利用して原住民の旧社を尋ね歩くのに忙しくならざるを得なかった。それでも駆け足である。
とは言っても高雄という土地柄、北大武山を始めとする台湾中央山脈の最南部の山々の一部に入り込んだり、それらを遠くから眺める機会は実に多い。私にとり何時何処から見ても溜息の出る山が北大武山である。
前回の記事で書いた屏東県泰武郷泰武村(旧タワルス社)から北大武山の登山口までは、旧理蕃道跡をそのまま辿り四輪駆動車であれば登山口まで上がれる。途中、カピアン社、トクブン社、タワルス社の旧社跡を確認出来る。タワルス社跡を過ぎた後は旧理蕃道は急に高度を上げながら走る。やがてコンクリートによる舗装道路が切れてしまう。初めてこの産業道路を登山口に向けて辿った時は、舗装道路が切れてから暫く走ったがすぐに恐れをなして、舗装道路が切れている場所まで戻りそこに駐車して歩き出した。登山口まではそこから約5キロあり、しかもぐんぐん高度を上げていく。四輪駆動であれば楽に登山口まで乗り付けられるのであるが、二回目も同じようにこの5キロを歩いた。今は舗装部分が数キロ先に延びたが、舗装道路が切れた後は四駆が必要なのは変わりない。
私が最初に北大武山に登った頃(2002年)に比べると、登山口に到るまでの道路は変わっていないが、登山口の広場から旧平和社(ピュマ社)に到る道に少しばかり入った場所に実に瀟洒なトイレが出来たのが大きな違いである。それまではこのトイレに到るまでの道は、日本時代の理蕃道で今は古道として国家歩道に組み込まれているにも拘らず、ティッシュと人糞が散乱していたからだ。格段な進歩だ。(>次回に続く)
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コメントありがとうございます。
ブログ再開しましたが、「台湾百岳」の方は、「台湾古道」のように定期的に投稿することは全く考えておらず、のんびりやっていく積もりです。というのはここ数年殆ど登る機会がないので。一ヶ月に一座というペースでも、もし今後登る機会に恵まれないと三年で完了してしまいますので。最も各座、記事の分量は異なりますが。
「台湾百岳」の方は掲載する写真のサイズを大きくすることにしました。サーバーの容量は喰いますが、記事数がそもそも少なくなるし、読者には出来るだけ視覚的に楽しんで貰おうと考えるからです。
これからもコメントお願い致します。(了)