▲[←俯瞰図はココをクリック]
南湖大山の魅力に関しては、先に『俯瞰図:審馬陣山』にメルマガ『台湾の声』への投稿記事から転載することに依り語り尽くしたので、ここで新ためて繰り返す愚行はしない。引用した記事を今後数回に渡り大判の写真で視覚的に補完したいと思う。今回は今現在上圏谷、下圏谷と呼ばれる二条の谷と、鹿野忠雄が特定した四つの圏谷が浮き出るように南側からの俯瞰とした。審馬陣山俯瞰図で引用した投稿記事中で述べたように、第3、4号圏谷のみが台湾学会では、所謂カールと知見されている。一つだけコメントする。これまで初回登攀と二回目との印象差を処々で述べて来た。中でも一番の思い違いは、二日目多加屯避難小屋から南湖山荘まで長駆しそのまま夕飯前の時間を利用し主峰まで登り詰めたと記憶していたことだ。詰り、山荘から労せずして頂上に立ったと思い込んでいたことだ。当時の撮影データを見ると主峰登攀は三日目であることに気付き、あれっと思った次第。それで、二回目の主峰登攀の時、頂上迄何と遠いことだと嘆いたわけだ。実際は山荘〜山頂間は2`弱、1時間半程度の登りだ。斯様に十年の隔たりは大きい。(終り)
2022年01月01日
2022年01月15日
南湖大山−1
2022年01月29日
南湖大山−2
【写真説明】この壮大無比の山塊を文字にして紹介するのも難しければ、二回の山行で多数撮影した写真の中から選び出して構成し直すのも難しい。尻すぼみのような恰好だが、南湖大山主峰に至る迄の露払いにスペースを割き過ぎたかもしれない。いずれにしても、主峰の紹介は三回の投稿記事で済ませることにする。南湖山荘(標高3,390b)を出て緩やかな登りとなる下圏谷の最低部を南下、鹿野忠雄の特定した1号カールを目指す。そのカールの中途に立つ三叉路標示板、山荘との標高差は300b、主峰との標高差は50bしかない。このまま更に南進すると南湖大山南峰に至り、そこでそのまま稜線伝いに中央尖山を目指すか、一旦1,500bの大下りを演じ中央尖渓まで降りて仕舞い、そこから中央尖山に取り付くか。南湖大山方面から中央尖山を目指すハイカーに後者のルートを辿るパーティーがあるのか?は筆者は判らない。上段中央写真はその三叉路の上部、落差50bの主峰山腹、上段右写真は主峰頂上の遠望。下段写真は主峰頂上の陸測一等三角点標石と中央尖山、両座の標高差は30b強、南湖大山が僅かに高い。この三角点標石の埋定、点の記に「埋定、大正七年六月廿一日、陸地測量士吉野半平」の記録有り。大正7年とは、1918年、筆者の過去二回の登攀時は未だ百年を越えていなかったが、今はとうに一世紀を過ぎてしまった。標石四辺の保護石は埋定時のものではないかと思わせる。(続く)