2021年06月05日

閂山−7

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【写真説明】ここに掲げた三枚の写真は野生のツツジである。何れも730林道脇で撮影されたものであるが、左・中央写真は歩行に切り替える以前の地点で撮影、両写真同群生である。右写真群生と同種であるかどうかは自信が無い。閂山、鳴鈴山界隈は台湾固有種のツツジの一種、細葉杜鵑(志佳陽杜鵑)の群生で著名なはずである。以上は後知恵で、カメラを向けていた時分は、記録として撮影したと云うのが正直な所だ。日本では伝統的にツツジ、サツキ、シャクナゲは区別して呼称するが、台湾ではこれらツツジ目ツツジ科ツツジ属の種は杜鵑花で統一されている。学術上は、鳥類のホトトギスは杜鵑、植物のツツジ属は杜鵑花と表記し区別している。杜鵑(漢文読みだと「とけん」)は、古蜀(春秋戦国時代末期の一国、後の三国時代の蜀と区別する為にこう表記する)の杜宇(望帝)が死後ホトトギスに転生した故事に由来する。ホトトギスがツツジ属の呼称に転じたのは、白居易(白楽天)の代表作の一つ「琵琶行」の中で謡われた「杜鵑啼血猿哀鳴」の一句が背景にある。その後、「杜鵑啼血」の熟語は極度の悲嘆の譬えと成る。ホトトギスの望帝は蜀が秦に滅ぼされたのを目撃し悲憤慷慨の余り吐血する。ホトトギスの鳴声(「テッペンカケタカ」が聞きなしの代表例)と口腔内が赤いことからの連想だ。同時に、この熟語は杜鵑がツツジ属の花々に転用されるようになった由来も暗示している。ツツジ属花弁の代表的な色合いである白地に鮮紅色の取り合わせが吐血の飛沫のイメージと重なるからである。

さて、細葉杜鵑、又は志佳陽杜鵑の和名は何であろうか?これを探すのには随分苦労した。台湾サイトで提供されている学名を日本語エンジンで検索すると行き当たった。「イサオツツジ」がその回答なのだが、意味不明。参考までに二つの学名を並べるが、両者同種である:

*細葉杜鵑:Rhododendron noriakianumi Suzuki
*志佳陽杜鵑:Rhododendron sikayodaisanense Masamune

複数の台湾植物学学徒が出て来る。日本語サイトでの検索は難しいので台湾資料『臺灣近代植物學的發展』に依った。筆者の推定では以下の通りである:「のりあき」=福山伯明;「すずき」=鈴木時夫(学名中にTのイニシャル有り);「まさむね」=正宗嚴敬。結論として日本人の名前と思しき「イサオ」の出所不明。尚、「シカヨウ大山」は即ち志佳陽大山、このカテゴリーの最初の投稿で説明済みである。(終り)

posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☁| Comment(0) | 閂山(第80座:3,168m) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年06月19日

俯瞰図:白姑大山

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俯瞰ダイヤグラムには白「姑」の漢字を使ったが、筆者の手元の地図帳の表記に従った。偶々同山岳の陸地測量部の点の記を眺めていたら「狗」の表記になっていた。筆者の印象では現在の台湾では「姑」の使用が支配的だと思う。

今回俯瞰図を作成するに当たり苦心したのは、白姑大山を含む白姑大山連峰の位置をどう読者に理解して貰えるかであった。前回の閂山もそうだが、現在の日本人には全く馴染みの無い百岳の一座の稜線のみを強調しても意味が無いと考えたからだ。中華民国山岳協会に依ると白姑大山を含む山域は中央山脈に属する。そうすると中央山脈の最も西側の支脈で大甲渓を挟んで雪山山脈南部と対峙することになる。と云う表現も可能だが筆者の手元の市販地図では白姑大山から八仙山に連なる南側稜線には雪山山脈の表記が附されている。と云う具合に白姑大山連峰の位置は定義し辛いと云うのが筆者の印象だった。それ故、下山後もこの中央山脈支脈の位置付けが不明瞭のままだった。明瞭になったのは前出の八仙山を始めとする所謂「谷関七雄」を完登した後である。白姑大山の紹介を終えた後、続けて台中市が市民健康増進の為に毎年キャンペーンを撃っている谷関七雄も紹介する予定である。

中央山脈の西端で雪山山脈南部と対峙していると云うような表現は、グーグル・マップとかグーグル・アースで位置を特定する際役に立たない。やはり自動車道、それも幹線自動車道を手掛かり足掛かりにするのが良い。この方法だと西は彰化市街地と東は花蓮県新城を結ぶ中央山脈越えの中部横貫公路(中横)西側大甲渓に沿った段と、埔里盆地から清境農場を経て合歓山群峰に駆け上がる通称中横霧社支線とに囲まれた山域であり、南は雪山山脈南端に繋がり北は合歓山群峰に繋がるというような表現が良いかもしれない。

台8線は台湾有数の河川と云うより渓谷沿い、台14号支線は台湾自動車道最高所まで登るので両道路は大きな標高差があり、勢い台14号線から白姑大山連峰を眺められるということであり、これに気付いたのは白姑大山登山後である。

何故この山を目指したかはもう記憶に無い。考えられるのは、単攻を試みる猛者がいることを聞いて組し易しと思ったのかもしれない。筆者の場合、山中二泊して漸う下山した。

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posted by 玉山 at 00:00| 台北 ☀| Comment(0) | 百岳俯瞰図 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする